今日の雑記

・睡眠時間6時間くらい。ちょっと上手く寝れなかった。床につくのが遅れたのもあるし、湿布で血流が良くなってしまったのもあると思う。なんにせよ、明日から一週間はほぼ寝たいだけ寝れるはず。今までの状況を見る限り9時間以上寝続けるのは難しそうだけど、環境が変わればもしかしたらずっと寝ていられるかもしれない。


・再び啓蒙についての考えに戻ってきて、あれは「何を変えようとしてるか」の点でも自分とは異なるのだなーと思った。
啓蒙は「人々の意識を変える」ことを目的としている。つまり、変える対象は「人」だ。
それに対して自分が変えたいものは「システム」だ。


・なんかよくわからんけど調子がだいぶ悪い。早朝出勤の影響をまだひきずってるのか、あるいは腕の筋肉痛の影響なのか。今日はどうせもう調整とかしかできないので良いんだけど。


・そういえば今年ラストの雑記になるのかな。じゃあ軽くまとめ的なことを書いとくか。


・個人的に一番大きかったのはやはり転職か。より厳密に言えば退職→個人開発→転職。失敗しているとはいえ、個人開発の感覚を少し味わうことができたのは大きい。多少は今の仕事も安定してきたので、来年からは個人開発をゆっくりと並行して進めていきたい。


・次に大きかったのは震災かなー。自分は直接的な被害にあったとも言いがたいが、6時間以上かけて徒歩帰宅したり、長い間精神的にダウンしてたり、わりと影響は大きかった。それでも知人が死んだりはしてないので、被害としてはだいぶ軽微な部類だろう。まぁ「自分は軽微だから」と思うのがストレスを生んだりするのだが。なんにせよ、これの影響で転職活動が遅れるようなことはなかったので良かった。


・他は思いつかないな。この2つがでかすぎるだけな気もするが。


・そういわけで今年の雑記を読み返そうと思って久々のブログトップを見たが、「いつか買うもの」とかすでにDropbox側に移してるので意味がなくなってたので削除したりした。「あとで読む」もだいたい読んでしまったので不要っちゃ不要なんだが。むしろブクマの方に移したいくらい。「環境設定」もメインアカウント側でメモしてるのでこれも不要ではある。
だがまぁ今回は「いつか買う」の削除だけで済ませた。


・で、読み返していて転職と似たようなことだが「時給制ではなくなった」のも大きいな。「裁量労働制」もこれはこれで「安い賃金で社員を使い倒すための法律」という感じもするのでアレだけど、モチベの維持はまだこちらの方がしやすい。


・あとは体調が前半はだいぶ悪いな。今も良くはないが、それでも睡眠は以前に比べれば格段に良くなっている。あとは冬季休暇でどれだけ回復できるか、だ。


・思想というか思考というか、そっち系の進展としては「自由」と「詭弁」の理解が進んだのが大きい。自由のイメージは「のびのびと自由にやる」という感じだったが、自分の定義においてはもっと苦悩にまみれたものだった。詭弁は小手先の技術しか知らなかったのが、実用性を考えた組み立てになった。


・「自由」について考えるため、再び「ファラリスの宣教師」の文章を読む。ググるとこっちの雑記が上に来てしまうのはイヤだな。リンクを貼っておこう。
ro119.com
やはり文章がイカすなー。

「自由であれ!」
そう言われると、精神的に幼稚なものは「ファラリスの信者は皆犯罪に走るはず」と短絡的に考えるらしい。
つまり、憎ければ殺し、異性を好きならば相手の意志を尊重せずに必ず強姦するはずだと考える…
本当にそうなのか? 人間は? そしてそなたは?

そして「責任」というものを自分はちゃんと捉えられてないことも感じる。しかし、今ならもう少し進めるかもしれない。次の文章で考えよう。


・まず、自分の「自由」の定義は「選択肢を選べること」である。そして「自由である」とは「どの選択肢を選ぶか迷う状態にあること」と言える。つまり、悩まないのなら他の選択肢はそもそも選択肢の意味を成していない。逆に言えば、「悩んでいるなら自由」とも言える。(論理学的には正しくなくて、実際に選択肢がないことに悩んでいることもある)
で、現状の認識では「責任」とは「リスク・デメリットをちゃんと受け入れること」である。「悪いことが起こった時に他人のせいにしないこと」である。
で、そもそも「選択肢を選べない」のに「責任を負う」のは不条理だ。故に「自由でなければ責任を負うべきではない」し、逆に「自由であれば責任を負うべき」と言える。ここも論理学的にはただの逆なので云々。
頭の中がごちゃごちゃしてきたけど、ひとまず「自由でないのに責任を負うのは不条理」から逆算すれば良い?これ自体は一定の妥当性を有してるようにみえるので、ここからの逆算なら少なくとも自分は納得できると思う。


・「自由でないのに責任を負うのは不条理」からわりと直接導かれるのは「キチガイが責任を負うのは不条理」ということ。つまり、思考能力を有していない=選択肢を選べないので、モノホンのキチガイは「自由」ではない。故にモノホンのキチガイが何をしようと責任を負わせるのは不条理である、ということ。
で、これは現実でもそうなっているし、さらにそれとは別に「賠償責任」だかそういうのが発生していたはず。つまり「悪いわけじゃないけど損害の賠償はしなさいよ」という感じ。となると、「責任」も複数のレイヤーを考えるべきか。ていうか、これは前回も考えた気がする。


・厳密なところでいえば、所詮は物理的な現象に過ぎない人間というものに対して「選択肢を選べる状態にある」ということを定義するのはだいぶ難しい気がする。


Mac MiniAndroidエミュレータの起動まで確認。立ち上がりがやや遅いのが気になるが、以前の会社PCでの挙動をだいぶ忘れてるのでよくわからん。あとはサンプルを動かしてそこそこの速度で動きさえすればそれで良いんだけど、エラーが出てサンプルのコンパイルが通らないのでもうちょっとあれこれしないといけない。ということで、今年中には確認できなさそう。


・最後のデバッグ案件も対応したのでそろそろ頭も限界。雑記ここまで。たぶんまた来年。