今日の雑記2

・結局2時前まで起きてしまったので、せっかくだから寝る前に吐き出しておこう。


・「会社で色々あった」というのは簡単に言えば「ここへの書き込みを見られた」ということ。
詳細に見られたわけでもないのでここを特定するにはサーバ係とのやりとりなどが必要かと思うし、実際にそれをやりかねないくらいには思っているが、まぁ「ここがバレた」というものとは少し違うと考えて良い。
その時点では「就業中の書き込み」を非難された。で、自分は「休憩してはいけないんですか?」→「では休憩中に書きこんではいけないんですか?」という非常に論理的な帰結だけで対応できてしまった。弱一応反論めいたものは来たものの、「裁量労働制ですよね?」→「自分の休む時間は自分で設定してはダメなんですか?」のコンボで終わった。せっかくなので詭弁でも使ってみたかったが、とっさのことだと慣れている論理の方しか使えなかった。向こうも詭弁を使うわけでもなくこの論理でねじ伏せられるだけだった。「裁量労働制」に関しては「向こうが出したルールを逆用する」という方法論(説得力の増加)で詭弁と言えなくもないが。そういうわけで、やはり「悪い人」ではないのだろうなとは思った。あるいは「悪を志向する人」とか「悪を許容する人」とかの類ではなく、「いわゆる普通の日本人」であり、前回の言い方で言えば「カモりやすい人」という感じがした。
しかし、その後も「そのブログはどこにあるんだ」みたいなやり取りがあり、前回のメールの件(差出人はまた別の人だが)を合わせると、自分以上に「個人情報」に関する意識が低いなと思った。自分もたいがい低いほうだが、それ以上に低い人間を見ると不快になるな。そしておそらく自分も他の人からはそう見られているのだろうと思う。それがわかったのも収穫だった。
あと、どうやら自分はやはりこの人達が「嫌い」らしい。といっても微小な感覚だし、「憎悪」に比べれば鼻で笑うくらいどうでも良い感情ではある。それでも本能は反応する。本能は警告する。そして入社直後に感じた「この会社もそんなに長くは居ないだろう」という感覚もこれを事前に察知したのだろうと思う。しかし、今回は「自分が変えられる規模の集団」だ。厳密に言えば「自分が変えられると思い込める規模の集団」だ。最終的に出ていくことになるとしても、その前に改善は試みたい。特に現状において「詭弁に長けた人」は居なさそうなので、制御自体はそこまで困難ではないはずだ。問題は「自分が他人を制御したことなんて特にない」故の難しさだけだ。


・ちょっと脱線するが、自分の「空気を読む力」あるいは「他人の行動を推定する能力」は、「自分が何の行動も起こさないこと」に強く依存していた。
以前の自分は今以上に消極的だった。プライドなどはあったが、「我を通す」よりは「我を曲げてでもとにかく何事も起こらないように何もしない」というタイプであった。そして「何もしない」という行動を貫徹することで、「他人は"何もしない人間"に対してどう思いどう行動するか」ということに限定して推定すればよく、そもそも何もしないので思考のリソースは常にそういう推定に回せる。
そして徐々に自分が能動性を有するようになり、思考のリソースはそちらに割かれ、自分の行動に対する反応を推定するのが難しくなった。体調の問題もあるし興味の問題もあるが、「自分が能動性を持つようになった」こともまた他人を理解する(というか行動を推定する)妨げになっているのだと思う。良いか悪いかは別として。


・まぁ「何もしない」ことと「何事も起こらない」ことは全く別のことなんだけどね。以前の自分も心のどこかでは理解していたかもしれないが、ともかく当時は混同していた。
今は少しだけ違う。最善とは呼びがたいが、少なくとも「自分を守る」ことに関してはある程度主体的に行動できると思うし、個人開発に進むだの転職するだのをする程度の能動性は持つようになった。


・今のまわりの人のような「詭弁は意図的には使えず、論理でねじ伏せられる存在」というのは「いわゆる典型的な日本人」といえるのかもしれない。前の会社だとちょっとアレな人が多かったので、こういう存在と接触する機会は意外と少なかった。こうして観察する機会は初めてといっても良い。
ただ、おそらく「いわゆる典型的な日本人」というのは個人を観察しても仕方がない気はする。「いわゆる典型的な日本人」というのは集団的な機能性としての意味だ。個体差はたくさんあり例外もたくさんあるので、個人を観察してもどこからが典型的でどこからがそうでないのかは人によって異なりまくる。しかし、集団として見るとそれらの例外は平均値としてならされ、あたかも全員が典型的な行動をとるかのように見える。
そういうわけで、「いわゆる典型的な日本人」のサンプルではあるが真面目に観察する気は起きないな。まったく魅力がないうえに観察する意味も感じられない。せっかく気づけたのになー。


・しかし、以前の「数百人規模の大企業」よりも今の「数十人規模の中小企業」の方が個人の扱いが軽い。軽いと言うかぞんざいすぎる。個人情報の取扱いからしても、負荷を他人にかぶせて平気なところから見ても、この部分の環境は悪化している。
おそらくは「大企業から分離して生まれた会社」であるがゆえの現象なのだろう。「大企業のルール」をそのまま中小企業に持ってきてしまったのが一番大きな問題だ。アレは「人を使い捨てにして最大の効率を図るもの」であり、大企業の利点たる「応募しなくてもわんさか人が寄ってくる」という条件に依存したものだ。今の中小企業のように「頑張って公告しないと知ってももらえない」「評判が落ちると会社ごと潰れかねない」という状況ではかなりの悪手だと思う。
唯一の望みが「この程度の規模ならシステムごと変えられる(と思える)」ということだろう。この望みがなくなった時が自分が出ていく時なのだろうと思う。場合によっては1年で終わるのかもしれない。


・一応フォローしておくと、その後「喫煙所でタバコを吸うようなもの」という認識には至ったようなので、それほど問題視(敵視)はされないところに落ち着いたようだ。むしろ自分より長く働いていて何故その結論に至ってなかったのかは不思議だが、ともかく「最悪な社畜」という類の存在ではなさそうだ。(もう一人の方はわからないが)


・というか本当に不思議なのだ。「1日8時間ぶっ続けで働く」ということが可能だと思っている人なんて居るのだろうか。実践できてる人など居るのだろうか。どう考えても休憩が居るし、もっと個人的に言えば1日4時間も働けば十分だと思っている。
ただ、最近自覚するようにはなってきたが、自分は「短距離走タイプ」なのだ。短時間で成果を出すタイプの人間だ。故に「1日4時間で十分」という思想を持つに至っている。
であれば、逆もまた存在するはずなのだ。つまり「長距離走タイプ」の人間が存在しうる。自分から見たら「ダラダラと長時間働いてる」ように見える人間が、実は「どんなに長い時間でもコンスタントに結果を出し続ける」というタイプの人間なのかもしれない。
そういう可能性についは考慮しているのだけど、しかしやはりどうしても「1日8時間休まずに働く」ということは不可能に見えて仕方がない。というか「仕事とはこうあるべき、という価値観に縛られている」ように見えて仕方がない。「席に座っている間は作業以外してはいけない」だのそういうくだらない価値観に縛られているように見えてしまう。
さらに言えば「その人」は個人開発の経験?もあるようなので、ここらへんの常識に縛られるようなタイプにも思えないのでなおのこと不思議なのだ。あの口振りは「本当に価値観に毒されている」のか「無意識に詭弁を使い、こちらを誘導するためにあの単語が選ばれている」のかが今の自分では区別できない。
というわけで不思議なのではあるが、ここに関してどうこうする気もない(自分の身を守れることは確認した)ので、たぶんここで終わりだ。


・「自分の身を守る」というのとは今回はなんか違うな。「自分の権利を守る」に近い。いや、同じ事なのか?
仕事中に休憩を入れるのは当然のことだ。それは当然の「権利」だ。逆に言えば「就業時間中は一切の休憩を禁ずる」という権利は会社側にはないはずなのだ。今回はそれを守ったにすぎない。
と考えて、やはりこれは同じ事、というか「同じ要領で身を守ることは可能だな」と思った。つまり、詭弁の重要項目である「不可侵の前提条件」として、この手の権利は使えるなーと思った。
別の言い方をすれば、権利というのは「とっかかり」としてすごく良いということ。何らかの因縁をつけられた時に、「相手にその権利があるか」「自分はそれをはねのける権利があるか」「あるとしたらどういうものか」という風に「権利の有無」で考えればそういう「不可侵の前提条件」を探す役に立つのではないかと思った。


・とか書いてる間にもうすぐ3時だな。寝よう。