今日の雑記

・睡眠時間7時間くらい。もうちょっと早く床につくべきだったな。今回は絵描きが楽しくて床につくのが遅れてしまい、そこから空腹コンボでさらに寝つきが遅れた。絵描きを楽しんでやれてるのは良いが、何もしない状態ももっと楽しみたい。


・作業はできてるが、特に急ぎなわけでもないし、要望受付は今日までなので今の調子ならだいぶヒマな感じではあるだろう。デバッグとかに移行するが、ゆっくりやってちゃんと休憩しよう。


・書いたかどうか忘れたので書いておこう。「この世界は白か黒か」の認識の変遷。
子供の頃はとても単純に白と黒(正義と悪)の二元論を信じていた。
成長するにつれ、この世界はもっとナイーブなものであり灰色を含むグラデーションなのだと認識した。
さらに成長するにつれ、「有益だが有害」という白と黒を同時に内包する存在を知った。つまり灰色ではなく白と黒がマダラに同居することがあるのだと知った。
そして現状では視点の違いによって白にも黒にもなるのだと認識している。それはもはや色というよりも万華鏡のようなあるいは量子力学のような観察者や状況に依存して変化する何かだと思っている。


・黒バス事件の供述についてはTwitterで感想をあれこれ見かけたものの特に興味はなくてスルーしていたが、いざ読んでみると確かに理解できるものではあるな。自覚まであるとは思っていなかったし、そこらへんは侮っていたと思う。というわけでちょっとあれこれ考えてみるか。


・嫉妬という感情はいまいち理解できない(厳密には感覚できない)と思っていたし、「成功者に攻撃したい」という感覚もわからないと思っていたのだが、ことゲームに関しては「ビリが決まってるならゲームの構造自体を破壊したい」ということであれば理解できるし今の自分でもやるかもしれないなと思った。
しかしやはり現実世界でそれを実行する気はない。ただ、それは「ゲームであればそれが終わればリセットされる」などの前提があるからであり、自分が現実世界で「もう自分の人生はどうにもならない」という方向に諦念したならば実行するのかもしれない。今の自分はもうそういう方向への分岐が存在しないが、大学あたりまで戻ればそういう分岐は存在したように思うし、であればそっちに進む人間が居るであろうことも理解できる。そう捉えなおせば自分でも「嫉妬」というものを実感込みで理解できる。ドラマとかで見てるとあれはヒステリーとかヤケのように見えるが、こう捉え直した限りは嫉妬というのは一種の娯楽なのかもしれない。


・ゲーム自体の破壊という非合理性と、それまで組み込んだ合理性か。ここらへんはまだ上手く咀嚼できてないのでひとまずゴチャゴチャ考えてみよう。
まずは「ゲーム自体の破壊」というものを考えてみるか。ボドゲ勢には忌み嫌われる行為だが、残念ながら「どんな状況であれ1番を目指すべし」なんてポリシーをかざしたところで諦めてしまった人間にとっては苦しいだけで鼓舞にはならない。そんなものよりはまだ「ゲーム自体の破壊・拒絶」の方が幾分は楽しめる。まだ「自分がゲームに関わっている」という感覚がある。
ちと感覚寄りに脱線してしまったが、ともかく「ゲーム自体の破壊」の実例について考えてみる。カタンであれば他人の邪魔になるためだけに道や町を作るとかだろうか。「特定の誰かの邪魔をする」というよりは「邪魔できる状況があればそこで邪魔をする」という感じになりそう。あるいは「あの時なんか気にくわなかったから延々と粘着する」とかがあるだろうか。クイズやスゴロクのような手番制のものであれば「ムダに時間を浪費する」とか「ムダな干渉を多くする」とかで精神的に云々する方向もあるか。しかし具体的にって意外と難しいな。1人プレイのゲームでは意味がないし、2人プレイのゲームではただの自滅だし、であれば必然的に3人以上のゲームでないといけないがモンハンみたいに協力プレイだとやはり意味がないのでさらに絞られて自分の経験的には意外と少ない。
たぶん「ゲーム自体の破壊」にも一定の合目的性がある。ただ、その目的に関しては多様性があるように見える。少なくとも「1位を狙う」なんてシンプルで単純で思考しなくて済んで疑わずに済んでラクチンな目的なんかよりも多様性がある。なんかトゲがあるな。嫌いなのかな。嫌いなのかもな。まぁそれは今回は良いや。ともかく目的は1つではなく、個人や状況に応じて変化するだろう。あるいは別の見方をすれば「1位を目指すために色んな手段がある」のと同様に「ゲームの破壊を目指すために色んな手段がある」だけかもしれない。
ただ、今のところの具体例から考えられるのは「常に"妨害"を選択する」という感じかなぁ。もっとクリエイティブに破壊できそうな気はするのだが、これが一番思考せずにできてラクチンではある。「1位を目指す」なんて苦行を諦めたのだからラクな方に流れるのは一定の必然性がある気もするが、現実世界でのテロなんかはまたちょっと違う感じだな。
それでも基本的な方針が「妨害」であることに変わりはないか。現実のテロではたぶん「(富の)蓄積」とかはあるはずだけど、たぶん「蓄積のための妨害」ではなくて「妨害のための蓄積」なんだよな。資本主義的に見ると手段と目的が逆転してる感じがするし、実際に逆転してはいるのだが、それは不自然なわけではなくて単に「富の蓄積」と「妨害(による現状のシステムの破壊)」のどちらが上位の目的であるかという価値観の違いがあるだけだよな。


・えーと、ここまでの話が「ゲーム自体の破壊」の話か。資本主義的には非合理的だけど、目的を別のものとして設定すればそれ自体は合理的、というあたりまでの話。で、これを想定したうえでの他人がとれる合理性の話につなげば良いのか。
つまり「システムの破壊」という目的をもとに行動するプレイヤーが居る環境下での「富の蓄積」を目的としたプレイヤーがとりうる選択肢や合理性の話。
これは簡単に言えばゲーム理論における相手の値の変更だよな。例えばいわゆる囚人のジレンマにおいて、相手は「妨害の方が価値が高い」という風に組み替えられてるだけだろう。そう想定できればもはやその状況はジレンマなどではなくなる。むしろ変に「協調」のことを考えずに済むぶんリスクは減らせるとも言える。
しかし前述のように1対1の状況下ではゲーム自体の破壊は意味をなさないわけで、であれば1対1のゲーム理論では意味がないか。そして自分は複数人参加のゲーム理論はほとんど知らない。思考できないわけではないが、まずそもそもの「合理性に基づく多人数参加のゲーム理論」を知ってからの方が良いだろう。というわけでこっから先は考え、、、いや考えてはみるか。
まずは全員が合理的であるという仮定のもとでの多人数参加のゲーム理論について考えてみる。しかし3人だけ&選択肢2つだけでも面倒な状況になるな。「少数決ゲーム」みたいな感じだと解が安定しない。
うーん、やっぱり難しいか。とりあえずここまでだな。


・まとめ。
「ゲーム自体の破壊」という行為は「ゲームにもう勝てない」と認識した人間にとって一種の娯楽(ゲームあるいはメタゲーム)として普通に起こりうる。
その破壊行為は本来のゲームにおける目的(1位になるなど)とは別の目的(ゲームの破壊、特に無意味な妨害)が設定されているだけで、実際にはわりと合目的的な行動になるのではないかと思う。
一定の合目的性がある以上、それを認識すればゲーム理論における相手の利得を書き換えるだけで十分に予測可能なのではないかと思うが、そもそも多人数参加のゲーム理論がよくわからないので検証まで到達できない。
という感じか。残っている思考のポイントとしては「ゲームの破壊を目的とした場合の手段としてどういうものが想定されるか(自分の経験が足りず実例から考えることが難しい)」「多人数参加のゲーム理論に基いて利得の操作だけで本当にゲーム理論の一種として組み込めるか」の2つかな。後者に関しては「妨害自体が目的=相手にとって何が妨害にあたるかという計算処理が入る」という部分で単なる利得(静的な値)ではなく変数(動的な値)みたいな形になる可能性がある。


・ふぅ。休憩になったんだかよくわからないがそれなりに時間を消費した。こっから先の理解は実例が足りなくて実感が足りなくて難しい。現実世界もそういう風にできてるはずなのでゲームという形でなくともそういう経験がありそうなものだが、そもそも記憶力が極めて弱いので何があったかとか思い出せない。


・それはそれとして黒バスで思い出したのだが、自分はいつから黒バスを面白いと認識し始めたのだろうなぁとか思う。
例えばめだかボックスでは「13組からマシ(普通)になった」「球磨川から面白くなった」「安心院からよくわからなくなった」という感じで認識の変遷が理解しやすいのだけど、黒バスに関しては「序盤は特に面白くはなかった」というのを覚えてるくらいでそれ以降の変遷をちゃんと認識できていない。
後付けで良ければ「他のキセキ(能力者)が出てきた時」とか「勝利が一定の妥当性に基づき、かつ必ずコンビの必然性によるものであると認識した時」とか転機になりそうな箇所は思いつくものの思い出せない。
というより、めだかボックスでの認識が明確すぎるだけで、他のものはだいたいこんな感じなのかなぁ。さらにそもそも論としては「あとから面白くなってきた」という事象自体が少ないか。これら以外であとから面白くなった漫画なんてライトウィングくらいしか知らないし。
ライトウィングに関しても「いつから面白いと認識したか」が微妙な感じではある。「おかえり僕らのジーニアス」が面白かったと認識してはいるが、その少し前から面白かったような気はする。やはりこっちもぼやけてる。


・で、漫画とかの記憶はハッキリしてるんだかボヤけてるんだかよくわからないが、一つだけ認識できたことがある。
基本的に「自分の内部で起こったこと」は覚えている。そして「自分の外部で起こったこと」をほとんど覚えていない。
簡単に言えば「自分が過去にどう干渉されたか」は記憶していないが、それによる「自分の価値観の変遷・決断」などは覚えている。だから具体的に中学や高校で何があったかはほとんど覚えていないが、「中学と高校は自分にとって時間のムダどころか有害であった」という結論はちゃんと覚えており自分の行動指針の一種にまでなっている。


・幸か不幸か、いや幸福なことだろう、自分は「足を引っ張り合う世界」には居ない。別の言い方をすれば「他人の足なんて引っ張るとすぐに一緒に沈没してしまう世界」に居る。スマホとかで一攫千金した会社とかは違うのかもしれないが、いわゆるコンシューマのゲーム業界ではそんなことしてたら一緒にデスマに入ってしまう。のでまずやらない。下請けとかであれば営業とかとやりあうこともあるのかもしれないが、今のところそういうところには行ったことがないしなー。厳密には下請けっぽいところもあったが、別に無茶な感じのあれこれがあったわけでもなく進行自体はとても普通だった。
だから少なくとも自分は会社という場所において「他人に足を引っ張られること」は(進行の遅れという形ではない意図的なものとしては)ないと思うし、逆に「他人の足を引っ張ること」も同様に意図的には行わない。
あぁでもそうか。ううん。
自分が最初の会社を辞める原因となったプロジェクトに関しては案外「デスマに突入させたプロデューサ・ディレクタの名を貶めるためのあれこれ」をする可能性もあったのかな。デスマの環境下でそんなことする体力はなかったし、そのプロジェクトが終わったら早々にアノヒトは他の会社に行ってしまったので何もなかったが、もしアノヒトがあのまま会社に居続けて自分が会社に残っていたら何かしたのかな。何かしてもまた自分まで含めてデスマに至るだけだし、自分と関係ないプロジェクトでは手出しもできないから結局何もなかったのかな。自分と関係ないプロジェクトでもし「貶める手法」を見つけてしまったとしたらあるいは、という感じか。それがまさに黒バス事件なんだろう。


・また黒バス事件の話になるが、動機とかに興味を持ったのは今日のことだが、「長い間逮捕されなかった」という事実自体にはわりと興味があった。が、別に自分にとって必要な情報でもないので「興味はあるんですけどねー」というありきたりな状態で終わり。弟達が死んで犯罪まで選択肢に入れられるようになったら調べるのかもしれないが。


・自分にとっては犯罪というのは選択肢の1つに過ぎない。別に「人間を殺しちゃダメ」なんて思ってなくて「人間を殺すとシステム的に罰せられるし、法的なもの以外でも特にメディアリンチ系で過剰な攻撃にさらされるのでデメリットの方がデカすぎる」というだけの話だ。故に弟達を巻き込むことを考えると現状では犯罪が実用的な選択肢として入ってこないだけで、そういう枷がなくなれば「あとで多大なデメリットが発生するが、それを許容できるなら犯罪も選択肢の一つである」となると思う。
まぁ別に犯罪を犯してまでやりたいことなどないし、デメリットをこの目で見たうえでなお実行するほどの度胸が自分にあるとも思えないが、逆に言えばそれだけの理由と度胸があるならば、か。弟達が殺されるようなことがあれば普通に実行可能なレベルだと思うが。まぁなんにせよ今の自分には関係のないことだ。


・なんか暗い話ばかりだな。うんこ。うんこ。


・別にうんこの話は明るくないのでは。


・こうやって長い雑記を書いてると副次的な効果として「空腹感がまぎれる」というのがあるな。休憩としてはイマイチな感じだが、カロリー制御としてはそれなりに有用か。まぁしかしすでに昼飯の時間を過ぎてしまっているので買いに行こう。


・そういえば「ゲームの破壊」への対抗策を考えてなかったな。原因をちゃんと捉えきれてないのに考えるのもどうかと思ったが、しかしゲームという範囲で考えられることはある。
まず、「ゲームの破壊」を行うプレイヤーが出てくるのは基本的にシステムの問題だ。1人プレイでは意味がないし2人プレイではただの自滅だ。だから参加者が2人以下のシステムではまず起こらない。ただまぁ現実のシステムではここらへんの制限はあまり意味がないか。問題があるのは「1位を目指すことを目的として設定されていること」とか「富の蓄積が目的となっていること」とかのゴール設定や「1位に追いつく手段がない(と思われること)」などの手段の設計や情報提示の不備の方だろう。
これが作成中のゲームであれば作り直すこともできるし、現実でもまったく新しいシステムの導入なんてことが現実的に行えるならシステムそのものを新規に考える意味もあるだろうが、現実的には既存のシステムを改変したり運用で誤魔化すことができれば万々歳くらいだろう。
で、現状の現実のシステムは、、、どうなってんだろう。
えぇとまず、システムというものは「実在」しない。システムというのはあくまで人間同士で「あるもの」として扱うだけで「"システム"から伸びたケーブルが人間に刺さって行動を制御している」とか物理的に存在して介在してくるわけではない。「こういうことになってるんで」という幻想を共有しているだけだ。
つまり、「いま自分が認識しているもの」がつまり「現実のシステム」と言えるだろう。だからとりあえずはごく個人的に考えて良い。(厳密にはちゃんと他人と共有されている必要があるが)
中断。


・新しく要望が来た。これが最優先だろうな。データ待ちではあるが準備はできそうなので作業を開始しよう。


・あぁ。気軽に引き受けたが意外と面倒だな。でもまぁ今日中にやれない範囲ではない。ていうか今日はまだほぼ雑記しか書いてないし。


・少々不格好ではあるが、2回目の想定よりはラクに対応できた感じ。まだデータが来てないので動作確認とかできないが。


・最近はコーディングの関数の命名とかは全部大文字のやつも先頭以外は小文字にしててそれに慣れてきたんだけど、さすがに「SetLrFlag」みたいな感じでLRの片方だけが小文字になると違和感でかいな。「SetLeftRightFlag」みたいにするか?「SetLRFlag」にしてもなんだしな。こういうのは「SetFlag_LR」みたいな形にすればなんとかなるが、すでに他の関数があってそっちの命名に沿う必要がある場合はムリだしな。


・データも一通り揃っていくつかついでにバグ対応しつつ動作確認まで完了したのであとは最新版でビルド通してコミットしよう。というわけで再び長めに休憩する。


・再開。
まずは「自分が世界をどういうシステムであると認識しているか」か。どこから始めれば良いのかわからないので、ひとまず思いつくまま列挙していこう。
個人開発の方向から言えば「"お金を払ってでも欲しいもの"を作成し、それを実際にお金と交換する」というシステム。トートロジーっぽくもあるがまぁともかくニュアンス的には自分はそういう風に世界を認識しており、その方向でお金を交換するために開発を進めていると言って良い。
仕事の方向から言えば「特定の処理を行う対価としてお金を得る」というシステム。上のシステムのサブシステムな感じで、かなり具象化というか分業化というかそういう感じで細かく固定されたシステム。たぶん一般的にはこれをもってして「お金を稼ぐ」と呼ぶのではないかと思う。「仕事があるからお金が得られる」というかなり変数が固定された共有幻想。
で、そもそもなんでシステムの話なんだっけ。えぇと、「現状のシステムにおいて"ゲームの破壊"を目的とするプレイヤーが発生する件と、それに対して改変や運用でどう対応できるか」という感じか。となると「ゲームの破壊」ではない本来の目的がわかんないとダメか。
えぇと、自分の目的、、、目的?ただの目的で良ければ「個人で食っていくこと」になるが、システムの話とはなんか違うな。もうちょっと昔の自分で考えよう。
大学の頃まで戻って考えると、目的は「会社に入ること」になるな。うん、とても正しくてとても間違っているのでこれで合ってる。ひとまずこれで考えよう。
もうちょっと「1位になること」に寄せて考えると「良い(と一般的に言われる)会社に入ること」になるかな。そして「良い()会社にはもう入れない」と考えた人間によってゲームの破壊が実行される。
再確認になるが、ゲームの破壊を行う人はもはや「良い()会社に入ること」を目的とした行動はもはやとらない。「こう行動すれば席が空くはず」なんてことは考えない。
そして基本的には「妨害」を行う。この例で言えば「他人が(良い)会社に入ることを妨害する」とか「良い会社に入った人を妨害する」とかになるだろうか。後者が黒バス事件に近いが、黒バスの場合は「大量の金銭を得る」の方が本来の目的としては近いのだろうか。
あぁ、ちと別視点にして仕切りなおす。


・「幸福の設定」の問題なんだろう。
「良い学校・会社に入る」というものを幸福とみなしたり、「恋人が居る」というものを幸福とみなしたり、「お金をたくさん持っている」というものを幸福とみなしたり、なにがしかの幸福を目的として捉えたうえでの問題なんだろう。
例えば以前にTwitterで見てブロックしたツイートとして「適当なカップルを見つけて"あれ?今日は違う女なんだね"と言う」というのがあるが、これはまさしく「ゲームの破壊」だろう。それで自分の身の回りの何かが改善するわけもなく、まして自分に彼女ができるわけでもないが、「どうせ彼女なんてできない」と思っている人間が容易に実行可能で容易に干渉可能な行為ではある。
だから想定するべきは「システム」ではなく「幸福」の方だったな。


・しかしこう考えていくと「良い()会社に入ること」みたいな価値観からはだいぶ遠くなってしまったのだな。共感どころか理解自体が困難になってきている。「一般的な幸福」を諦めて「自分にとっての幸福」に切り替えることができたのは望ましい変化ではあるが、それによって他人の、、、、いや違うか。「一般的な幸福」を他人に当てはめて考えてる時点で自分もまた一般的な幸福を他人に押し付けてる人間と変わらないのかもしれないな。であればむしろ自分が行うべきは「こういう幸福もある」という提案の方向なんだろう。ここらへんは普通にゲームとも絡むな。うん、普通にごく普通にゲームの話になるな。


・例えば「どうぶつの森」がそうだろう。新しい「幸福」の提唱。
今までの「競うことが楽しい」「限界を越えていくことが楽しい」というゲームの楽しさ(=幸福)の尺度の外。
新しさそのものに価値があるというよりは、既存のゲームでは幸福になれない(=現実世界で言うところの彼女ができない)という人達に対して「そうではない価値観」を提示したことに意味がある。
そしてたぶんそれは現在でもおそらく変わらない。「既存のどのゲームでも幸福になれない」という人が居て、その人でも幸福になれる(=楽しめる)ゲームが存在しうる。


・現実世界の話に戻ると、問題なのは「一般的な幸福に束縛されること」であって「自分の幸福を見つけること」ではない。束縛されなくなるのなら最悪(本当に最悪)不幸であっても良い。いや良くはないが、束縛の問題ではなくなる。
でも束縛から逃れる手っ取り早い方法は「自分の幸福(尺度)」を見つけることだよなぁ。その尺度で幸福になれなくとも、、、いや、その尺度で幸福になれないと悟れたらその尺度でまたゲームの破壊が起こる?のか??よくわからないな。
ともあれ尺度を増やすこと自体は是だろう。どの尺度であれ幸福を実感できればそれで良い気がする。
ていうかなんだかんだで思考にリソースを使いすぎたのかちとしんどくなってきた。この話はここまでにしておこう。うんこ。うんこ。夕飯(サンドイッチ)の買い出しに行く。


・買い出し中にまたあれこれ考えてしまったので吐き出しておこう。
他人の幸福の定義そのものを否定する人間が居る。逃げているだけだと揶揄する人間が居る。それ自体はどうしようもない。その人を変えることができたとしてもまた別の人が現れるだけだ。幸福の定義は主に所属クラスタに大きく依存する以上、そのクラスタに居る限りなくならないと見て現実的には問題ないだろう。
であれば、そのクラスタにおける幸福の定義が満たせない場合は他のクラスタに移ることが妥当になると思う。逆に言えば、そういった人を救うにはそういうクラスタを作り上げるしかないのではないかと思う。
その意味ではネットによってフラットになった世界ならようやくそういった人を救うための土台自体は出来上がったとも言える。そしてフラットであるがゆえに揶揄する人間の垣根もなくなっているとも言える。
そして幸福の提示およびクラスタの維持を行っている筆頭がカルトなんだろうなぁとか思う。極論ではあるが「幸福を押し付けられるとカルトに走る」という感じになるのだろうか。


・眠気だかしんどさだかが出てきた。残り1時間。今の作業が落ち着いたらそれで終わりにするかな。


・うぅむ。精神的なしんどさが久々に混濁レベルまで来てる気がする。思考しすぎたか。いや、普通に睡眠不足だなこれ。


・今日は風呂入ってメシ食ったらあとはだらーんとしていたいなぁ。寝れなくても良いので体を横たえていたい。