・前日。
0930:ミックスナッツ:それなり。
1200:鍋。
1500:スロージューサー。
1600:スロージューサー2杯目+納豆。
1900:ピーマンの豚バラ巻き。
屈伸:少しだけ。
人工甘味料+スロージューサー:摂取。
瞑想メイン:多少。


・睡眠時間5~6時間。
概ねいつも通り。起きやすい方ではあったか。


・予定。
牛肉食いたい感があるな。外食は明日だけの予定だったが、まぁ今日行っても良いか。焼肉が空いてたらそっちが良くはあるものの、たぶん空いてないので以前のヒレステーキで良いか。


・外出終了。
概ね予定通りだった。
久々のヒレステーキはかなり美味かったな。根菜系の付け合わせやら油まわりが気にはなるものの米はなしでもちゃんといけるから、まぁ身体への悪影響は多少は抑えられるだろう。毎週行く感じでなければ問題ないはず。
サンダルはmont-bellのやつを買ってきた。靴ずれだけは気になるが、まぁmont-bell製品で水中での利用を想定して作られたものならそんなに不快感は発生しなかろうと思う。


・個人開発。
開発というかその前の段階というかむしろ後の段階というか、そこらへんを考えることにした。具体的には「エギオがゲームの広告マンだったらどうするか」を考えてみる。
以前から多少考えてはいたんだけど、平日だとあまりがっつり時間が取れないので土日とかにやりたかったんだよな。そしてそれが今ならできそうだからやってみることにした。
エギオについては以前にも書いてたっぽいが、まぁ自分の人格ですらない妄想の産物であるんだけど、今回は以前とは設定が違うので必ずしも「不幸を救いたい」わけではなく「とにかく幸福にしたい」という感じだな。
そして今回はゲームに区切って考えようとしたんだけど、エギオだったら絶対そんな区切りには縛られないよなという感じだったのでたぶん枠はエンタメ全般に広げることになる。そのエンタメもいわゆる漫画や映画や音楽だけでなく食事やファッションなど「幸せを味わえるもの全て」が対象になりうるわけだが、さすがに自分の能力的にもエギオのシミュレーション的にも全てをちゃんと把握することは難しいので、あくまでゲームを中心にしたエンタメという形になりそうではあるが。
で、どこから考えるかあれこれ試してみたところ、エギオだったらたぶん「幸せとは何か」から考えるかなぁという感じになったので自分もそこから始めることにした。「幸せは人それぞれ」で理解が止まってしまっていて、そのそれぞれとは何を指すかまでは考えてなかったからな。理解できるとも思っていなかったし。しかしエギオならまずそこを理解しようとするしある程度は理解できるだろうと思うから自分もそこをちゃんとやることにした。
とりあえずのとっかかりとしては「プラスの感情」全般になるか。達成感や万能感、充足感や満足感など色々なプラスの感情が人間には存在し、おそらくはそれらの感情に関わる形で色々な幸せが存在する。まずはここらへんの感情の列挙とそれぞれの特徴の把握をすることになるかな。今日はそれだけで終わるかもしれない。


・吹き出物。
また出てきたな。最近の差分で影響がありそうなのは人工甘味料だろうか。まぁ今日からはスロージューサーがなくなるので結果的に人工甘味料もなくなるか。
1個だけかと思ったら2個もできてたか。頬骨あたりと目のフチあたり。まぁ触ると少し痛む程度で赤みもさほど強くない感じではあるが、さすがにいきなり2つとなると最近の差分への身体への影響と考えて良いだろうか?
マーガリンの時は排泄不良的な何かなのかと思ってたんだけど、今回のが人工甘味料だとしたらどういう原理なんだろう。免疫系への影響からの間接的な何かとか?ここらへんの原理をまったく知らないので予想も立てられんな。まぁ原理の予想を立てたところで対処が変わる気がしないので調べないわけでもあるが。どうせ「それの摂取を避ける」くらいしか手立てはないだろうしな。卵でもアレルギーが見られたから「人工精製物が悪い」とも思わんが。


・個人開発。
一旦区切るか。まぁまぁの進展具合。さすがに今日だけで網羅はできないし、できるべきでもないかなと思う。たった1日でわかった気になる方が問題だろう。
ちゃんと足がかりを見つけてあれこれ考えることができたのは良かった。ただ、やはり体調が万全でない感じもあった。色々な感情をシミュレーションするわけだが、それの精度があまり高くないんだよな。まぁ低いながらも再現はできるのでちゃんと実感をもって考えることはできたが、低いことに変わりはないので体調の低さを常に感じながらの思考になった。


・褒め方。
上記のことを考えてたからかは不明だが、今朝の外出時に「自分は"意思"を褒められたかったのかな」とか思うなどした。
自分は見た目を褒められるのが嫌いだったし、才能を褒められてもさして嬉しくはなかった。一般的に人間というのは「成果」ではなく「過程」すなわち「頑張ったという事実」を褒められたいらしいし、たぶん自分もそうだったんだろうと思う。まぁこれはこれで努力教になっていくのだろうし努力教は自分は嫌いだが。
で、そこらへんを一般化すると「何をしようとしたか」という意思を褒められたいものなのかなと思う。自分であれ他人であれ。結果がどうあれ何をしようとしたかを理解して尊重してくれるのは嬉しいのかもしれない。自分が見た目を褒められるのが嫌いだったのはそこにマイナスの意思があって反対方向に理解・尊重されている感があったからな気もするし、才能に関しては意思とは無関係なので嬉しさが大してなかったのだろうと思う。(天狗になる感じの間接的な嬉しさは多少あったようにも思うが)
ゲームの良さはそこらへんでもあるよな。これは他の人も別の言い方で言及していたはずだが、プレイヤーの意思がゲーム側によって判定・リアクションされるのが他のメディアでは実現しづらいゲーム固有の利点。まぁその判定方法やリアクションに不備があるといわゆるクソゲー扱いになったりするわけだが。
そういやクソゲー関連のエントリも結局まとめてないな。まぁ別に上げないといけないわけでもないし、ちゃんとまとめることで次に進めるという感じもない。気が向いたときにでもやれば十分だろう。