「打算」考察ログ

「打算への嫌悪」と「非対称性」の相関について。


例えば、「片方は相手を愛していて、もう片方は金銭などのために相手のそばにいる」という場合、嫌悪感が生じる。しかし、「片方は相手の体目当て、もう片方は相手の財産目当て」という場合は嫌悪感が生じない。ただ、どちらも打算とは呼べるはずなので、すべての打算に嫌悪を抱くわけではない模様。


「代替可能なもので代替不可能なものを手に入れる」ということに嫌悪を感じるのか?シャーク行為への嫌悪と同じ?