好奇心の扱いをどうするべさ

昔のメモで特に結論を出さずに終了したものがある(結論をメモしてないだけのもたぶんあるが)。一番の理由は興味が失せたからなのだが、これって傾向としてはどうなのだろうということのメモ。


ブログではない状態なので、他人にとってどうこうは別に良いし、全ての興味に対して答を出せるほど有能でもなければ時間もない。全ての問題に答があると思うほど数学信者ではないし、興味のないものを考え続けるほどストイックでもない。


ただ、「答などどうでもよくて、興味を持ったものに対して好奇心が持続する間だけ考える」というのは「善か悪かなどどうでも良くて、面白いニュースだけをネタが続く限り見る」というワイドショーを見る人間と変わらないんじゃないか、と心配になっている。勉強(弾さん風に言えば学習)の基本スタイルに通じたりもするので否定すべき特性ではないとも思うが。


ていうか特性として近いならワイドショー好き→勉強好きにするのもきっかけがあれば容易だったりする?


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書いてて気づいたけど、何故「弾氏」ではなくて「弾さん」なんだ?プログラマだから?


・やね師匠:プログラマの師匠。なんら面識はない。
・結城先生:プログラマの先生。なんら面識はない。
・先輩:同じ研究室の先輩プログラマ。会ったことはあるが、多分向こうはこちらを知らない。
・弾さん:使ったことのない言語(perl)のプログラマ。なんら面識はない。


影響を受けたプログラマにはなんらかの敬称?が付く模様。関係を表す名詞が存在しないからさん付け?