「学習」と「論理的導出」は違う:「例え話」は「根拠」にはならない

「例え話」は「説明」にはなっても「根拠」にはならないのではないだろうか、とわりと長いこと考えていて、ようやくそれが「学習」と「論理的導出」が違うことで説明できるとわかったのでそのメモ。


まずは、「学習」と「論理的導出」の違いについて。
例えば、「1, -1, 1, -1, 1, -1, ...」という数列があったとして「(最初は0番目ではなく1番目として)奇数番目が1で偶数番目が-1だ」とか「1と-1が交互に出てくる」というのが「学習」であり、そこから何故そうなるのかを考えて「1と-1の離散値を一定周期で取るのではないか」とか「余弦波なのではないか」とか「ジグザグの直線になっているのではないか」などの仮説をたてて検証し、検証に耐えたものが「論理的導出」として採用される。
つまり、「結果」→「学習」→「仮説の切り出し」→「検証」→「論理的導出」の順番であると考えられる。


そして、この流れと「例え話」の関係について考えてみると、「例え話」は理解を促すものであり、それはつまり「結果」→「学習」の部分に該当する。これに対し、「根拠」とは「検証」→「論理的導出」の妥当性として示されるものであり、「例え話」とは別の部分で使われるものなので、「例え話」は「根拠」としては使えない、という結論。


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学習と論理的導出の説明が上手くいかなかったものの、言わんとすることはメモできた。久しぶりに満足の行く「答」。


良い例え話によって「正しい」と思ってしまうのは、「学習」が上手くいっただけにすぎない、ということが説明できて納得できた。「納得」が大きくなるだけで「根拠」が強固になるわけではない。


論理的に「正しいか」を保証するのは「検証作業」と「根拠」であり、それを「理解」させるためには「例え話」が有効であるという話。もう少し色々な見方ができそう。来週覚えてたら考えるかも。予定は未定。