他の雑記

・睡眠時間8時間半?洗濯があった割にはよくやった。もう9時半には寝る準備するべきかもしらんね。


・たぶん、全ての雑記をここに箇条書きにすれば、より雑記っぽくなるとは思うのだけど、それもやっぱり見返すときに不便だったりする。
ものすごい長文を書きまくれば良いかも!と思うけどそれは時間的にも精神的にも無理。
そんな感じで改めて考えると、「メモ」というのはフォーマットとして最適だなぁと。


・肯定否定に関わらず反応があるとビビる。自分の「こえだめ」に人が集まってるとビビる感じ、と言えるのだろうか。よくわかんね。
出し終わった時点で目的は達成されてるので、その後ソレがどう扱われようとどうでもいいのだけど、あまり期待させると悪いなぁということで期待させない手法については色々考えている。(「人が集まってるから自分も覗いてみよう、と思って覗いたらこえだめだった」というがっかり感への対応とか)


・「外に出して観察することで得るものがある」とか「実はあんまり見返さない」とか排泄物と似てる点はあるものの、それほど嫌悪感というかそういうネガティブなのはないので、やはり例えとしては悪いかなぁ。


・それでも注釈は必要か。サイドバーをまた更新しようか。「タイトルは常にLifeXXckという文字列を含むようにするので、フィルタリングする場合はその文字列を指定してください」とか。「雑記」とか入れておいたほうが汎用的なフィルタリングになるか?memoとか英語だし良いかも。


・なんかgoo辞書がスタイリッシュになってる。


・「個人的な経験上」が含まれる文章は信用できないね、個人的な経験上。


・もう少し真面目に書くと、「個人的な経験上」だと「自分にできないから他人もできない」という事象が内包されてしまう問題がある。個人に限らず、その属する集団でも同じというか、その集合に含まれない場面への適用は検証の余地がある。その集団の中(個人ならその個人内)での適用ならば問題ないのだけどね。
ならば「それは個人の結果に過ぎない」という発言そのものも「外部への適用」なのかもしれん。ということで口をつぐもう。
「つぐもう」だけ見ると日本語っぽくないな。単語っぽくないというべきか。


・そう考えると、自分の「善悪」や「恥」を相手に押し付けるのも「個人的な学習結果」に過ぎないものを「一般的なもの(常識)」として相手に押し付けてるから違和感を感じるのか、と納得。他にも「ただの個人的な学習結果」に過ぎないのはありそうな気がする。


・で、それらに違和感を感じるのは別に良いとしても、それを否定したり攻撃したりするのはどうなんだろうなぁというか、そういうことまで考える自分が実に楽しくない。なんとか制御するために「学習」の観点から考えているものの、答えは出ない。このレイヤーでは説明できないのかもしれない。


・例えば、「どんな馬鹿でも(物理的にであれ、精神的にであれ、社会的にであれ)痛い目を見せればわかってくれる」というのは、相手のとった行動に対してマイナスの報酬を与えることでその行動を抑制できる、と説明できる。
「痛い目を見たからと言って別の行動をするのはかっこ悪いぜ」というのは、依然として「他の行動」よりも「その行動」の優先順位が高いだけであって、評価(利得)自体は下がっていると考えられる。
たぶん、「さらにものすごく痛い目」を見せればやらなくなるだろうし、何がしかの選択肢を提供することによって相手の行動を誘導することはできる。


・「罰の強化」ではなく「動機の削減」でも犯罪とか荒らしとかは減らせる。「動機の削減」のためには相手を「理解」せねばならぬ。もしかしたら「理解」そのものを相手は求めているのかもしれないが。ならば「理解しようとする」ことは「荒らせば理解してもらえる」とかに繋がるか?どっかでそんな議論を見た気もするが。