その分野への知識がない場合の真偽判断:雑案

長くなった。分離。


その分野に関する知識がないときの「信じるかどうか」の判断要因として考えられるのが、「相手の知識・情報処理能力」と「相手の中立性」。どんな情報であれ、そのほとんどは「誰か」が伝達する。その「誰か」は新聞かもしれないし、TVかもしれないし、ブロガーかもしれない。その情報の真偽が自分だけではわからなくても、その「誰か」の知識や中立性から情報の真偽がある程度推測できるのではないか。例外として、「自分が現場に遭遇する」という場合があるが、その場合は自分をその「誰か」とみなし、自分の知識・情報処理能力と中立性から判断することができる。か?
「信じるかどうか」の決定というのは「それが正しいと思う」「それが間違いだと思う」「正しいか間違いかわからない」という3つの状態のどれかを決定することである。まず、「相手の知識・情報処理能力」が高いと思えば「正しいOR間違い」と考えることができ、低いと思えば「どっちとも言えない」となる。さらに、「相手の中立性」を考えて、中立的だと思えば「正しい」で、どちらかに偏っていれば「どっちとも言えない」となる。
あれ?「間違い」とは断定できんな。まぁそりゃそうか。じゃあここで止めて振り返る。


意外とまとまった。んで、わりと使えそう。あとで使ってみるとして、でもその結果が正しいかどうかってのは簡単には判明しないんだよなぁ。検証には時間がかかるか。あるいはその分野に習熟しちゃえばいいのか。なんにしても面倒だ。
「相手の知識・情報処理能力」の推定に何を使うか。定番は「ラベル」。専門家ならば相応の知識、情報処理能力を持っているだろうという推測。でも、最近は「〜専門家」を名乗るトンデモがいるらしいので、何か別の方向も探りたいところ。
「中立性」の推定は楽か?「利害構造に組み込まれているか」というのは知識がなくてもある程度は推測できるか。「見えないつながり」とかは知識が必要なので過信もできないが。
「中立性」に関しては「単純に利害構造の内部にいる」だけではなく、「〜発言に激怒中」みたいになってないとか、もっと広義の中立性を指していることを示しておきたい。「中立性」以外の言葉を使ったほうがいいか。「冷静さ」とか?これなら「煽り」が入ると信用できないことも示せるか。両方使う?「中立性」&「冷静さ」。他にも要素はあるはずだし、それを考えながら検討しよう。
知識がないんだから「断定」はできない。理屈の正しさを追うのも難しいか(A→BでAだからC問題)。結局は「こっちが正しそう」ぐらいにしかならないが、構造上それは仕方ないか。それだと、「詭弁で騙されて、こっちが正しそうと思わされてる」という状態と区別がつかないか。詭弁対策に関してはというか、「疑う方法」に関しては色々あるし、それはどうでもいいか。重要なのは「信じるための基準の確保」だ。


趣味で考えることに重要もひったくれもあるか?って気もするが。まぁ趣味だからこそ、そう言っておこう。一週間空くのでたぶん覚えてないだろうなぁ。