未分類の雑記

・睡眠時間6時間半程度。かなり眠い。やっぱり睡眠時間の量じゃなくて周期とかだよ、ってそんなことのために寝付けなかったのかよ。


・昨晩:帰る途中、やたら痛いな〜と思って見てみたら、例の早々とできていた「かさぶた」がズボンとすれてはがれていた。縦長の傷の方は回復までまだしばらく時間がかかるが、今回みたいにズボンとすれてはがれてしまうのだろうか。


・自分のやる「実験」は、往々にして「目的」がない。強いて言うならば、「実験をすること」そのものが「目的」である。いわゆる「手段の目的化」。今のケガにしても、「どうせケガしたんだから、何かしてみたい」というのが目的であり、「かさぶたをはがすことによって傷の治癒具合がどう変わるか」はそのための手段にすぎない。


・例えば、「1,2,4」という数列を見たがために「8」だと誤認するような。実際には「日」であるにも関わらず。それは読解力が足りないのではなく、注意力が足りないのでもなく、状況からすれば妥当な思考なのかもな、とか。
例えば、電卓表記では「8」と「日」の区別がつかないように。例えば、日本語がわからない人間には「日」が「8」に見えるように(実際にそう間違えるかは知らんけど)。
結局は、「そういう世界があるということ」「そういう思考パターンがあるということ」を知らない、知れない状況なのかな、とか。


・ほげほげ考えた結果、やっぱりデフォルト状態の見た目にした方が一番雑記っぽいはず。ということで、いつか戻す。
それはそれとして。問題なのは「雑記」なるものは、まずネット以外で見かけることはない=学習する機会がないということと、自称メモがやたら多い=雑記と題しても雑記ととられない可能性が高いということ。
一番簡単な解決策は「ブログだと思われることを了承する」なんだが、なぜこれを採用しないのかが自分でも不明。


・「知らなくて良い」は「知っていても良い」だし、「知っていた方が良い」は「知らなくてもそこまで問題にはならない」ということ。文脈によってかなり意味が変わるので、「お前は知らなくて良い!」というのは「お前は知ってはいけない」という意味になったりするけど、本来はそういうもののはず。いや、「知らなくていい」と「知らなくてもいい」は違うのか?
マシン語云々については「おぅ、弾さんが釣れたのか。よかったね。」ぐらいの感想。


・田?...あぁWindowsキーね。てか、Windowsって入力した途端に小文字表記に自動で変換されてびっくり。じゃなくて、田からWindowsキーだとわかったことがびっくり。


・思い出したのでメモ。「理由をつきつめること」と「背理法」と。
「どんなものにも必ず理由がある」と仮定する。
では、「なぜ勉強が必要なのか?」という問いを考えてみる。これは「勉強する理由」を問うものであり、仮定より、必ず理由が存在する。ここで、「役に立つから」という答が返ってきたとする。そして次に「なぜ役に立つのか?」という問いを考え、「他人のためになるから」という答が返り、「なぜ他人のためになるのか?」という問いを(ry
上の例で別の答を考えても良い。その場合は問いも変わるだけだ。
で、その連鎖を考える場合、永遠にその連鎖は続けられるか。全ての問いに答は存在しうるか。仮に答が存在しないならば、それは前提が間違っているからではないか。
仮定が間違っていないのならば、世界が間違っていると言える。「Aならばnot A」が成立するような世界。何でも導き出せる世界。しかし、そうであったとして、その世界において「仮定は間違っていない」ということに意味はあるのか。
というのを寝る前だか寝てる最中だか寝た後だかに考えてた。夢の中で考え事をすることもないではないが、実際には夢うつつの状態で考えてたのだろうと思う。たぶん、その時は「設問そのものが間違い」みたいな結論になってた。内容としてはどうでもいいというかどうでもいいというか、まぁどうでもいい。他者の説得に使う分には少しパンチが弱い(反論が思いつき、その反論に答えられない)。


・あとこれもだ。「鬱病の人間の自己評価は正しい」の「正しい」って何さ問題。
まず経験上、マイナスのバイアスがかかっているため、とても「正しい」と呼べたもんじゃない。とりあえず、それはおいておく。あれは鬱とは呼ばないのかもしれないし。
で、もうさっき書いたのが長かったので疲れたため要約しちゃうけど、「正確な評価」だろうと「他人の評価」と一致してたら意味なくね?というのが本体。今考えると、「自分の行動決定」には使えるんじゃね?とか思う。が、これもまたどうでもいい。


・どうも「CGWorld」という本が「クリエイター側の信念とか云々」を載せてたりするらしい。観察側としては良さげ?そいや、確か会社にも置いてあるはず。


・たぶん、ただ単に「高画質」を嫌っていたのではない。確かにWiiを支持していた。DSの延長なのか、相手の否定による相対的な自分の優位なのか、売り言葉に買い言葉なのか。本当に「高画質だけを売りにしたゲーム」なんてものが存在したのか。存在したとして、それを自分が知らないならば根拠にはならないのではないか。あるいは、そういうものが発生すると予測したのか。
以前よりは冷静になっているはずだが、まだ自分の行動パターンが良くわかっていない。


・それは「本を書いた功績」を示したいんじゃなくて「その本で観察できる思考形態」を示したいんじゃねぇのと思うけど、書いたところでそれが伝わるとも思えず、さらにアレなブクマへの言及へのブクマってのもなんかなぁと思うので、結局その文の行き着く先はこの雑記となる。
→思考形態とも違うらしい。行動の方か。


はてブの「Maya」でタグったのが予想以上に少なくて、「やっぱり"はてな"ってそっち系の人はいないのか」とか「そっち系の人はそもそもSBMを使うのが少数派なのでは」とか「そっち系の人ってあんまりタグに気を使わないんじゃ」とか「はてブを使ってなくてもはてダを使ってる可能性はある」とか「そもそもそっち系の人がブログを書く動機って何?」とか「自分語りは欲求として一般的なので、ブログさえ見つかれば観察は容易なんではないか。見つかれば。」とか、色々とどう探すかを思案。
そういえば音屋さんのブログというのも見たことがない。


・「エアリーダー」とは、「空気を読んで行動するもの(Air Reader)」であり、「空気を自分の望むほうに導くもの(Air Leader)」であり、「エアギターよろしく、リーダーのフリをするもの(エア・リーダー)」である。
そして、すでに「エアリーダー」でググるといくつかひっかかるという事実。
saku sakuで使ってたのか。覚えてなかった。