いじめ2.0に関する考察ログ

id:essa:20061112:p1にて今のいじめに関する考察がなされていて良くわからなかったのでとりあえず再度読み直しながら考察をここに記録.


まずは言葉の定義から.


「いじめ2.0」:WEB2.0とはWEBにおける一つの節目であると考えられる.すると,いじめ2.0とは今までのいじめ(=いじめ1.0)とは異なる新しいタイプのいじめである.
「切断」:「つながり」の逆.今までのいじめでは,いじめる側の「つながり」を確認するための方法としていじめられっ子をいじめっ子側から「切断」していた.


で,この議論の主眼は「切断」っぽい.「そんなことで再びつながることができる切断は自分の経験している『切断』とは何も関係ない」という言及から,彼らの経験している『切断』は自分たちの知っている「切断」とは違うらしいことが予想される.「この感覚が、人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。で取りあげた、自殺予告の手紙に通底している。」という点から考えると,これは...よくわからない.のでひとまず人権の話を考えてみる.


人権の話での問題点は「自分の声が届かない」という点であると考えられる.それはまぎれもなく「切断」である.そしてその切断はいじめる側といじめられる側との切断には留まらず,親と子,教師と生徒,世界と自分の切断でもある.


再び「新しい切断」の話に戻ってみる.人権の話から考えると,昔のいじめはただのいじめる側といじめられる側の切断だったのかもしれない.詳しくは知らない.よくよく考えると自分も「世界と自分の切断」を体験している側だったのかもしれない.とにかくそういう風に仮定しておく.


この新しい「切断」の成り立ちから考えると,再帰的切断とは「世界から切断された学校」「学校から切断された生徒」「生徒から切断されたいじめられっ子」ということを示すのだろうか?それならば「切断」された感覚の共有がいじめっ子といじめられっ子の間にしかできないというのもひとまず理解はできる.しかし,「切断」の感覚を求めるということが理解できない.今までのいじめでは「つながり」を求めるが故にいじめっ子が結託し,今のいじめでは「切断」を求めるが故にいじめっ子といじめられっ子に別れるということか?


ひとまずここまで.また時間があれば考察.


追記1:


「切断を求める」とは「切断する側にまわる」ということか?それならばつながることを選べないのも多少の説明はできるが,それは今までのいじめと大して変わらない気がする.せいぜいただのバージョンアップで,いじめ1.1といったところ.


「何故世界は学校を切断するか」,「何故学校は生徒を切断するか」の観点から考えると何か出てきそうな気がする.