評価者に依存しない優劣の評価基準に関する考察ログ

とりあえず「科学的」なものは評価者に依存せず、「文化的」なものは評価者に依存するような気がする。
電気(他のでも良し)を使う文化はそうでない文化よりも「進んでいる」と感じるが、これも評価者依存だと思われる。「処理を効率化する上で優れている」ので「進んでいる」と感じるだけのような感じ。


ならば「言語に優劣は存在しない」というよりもむしろ「文化的なものに優劣は存在しない」という方が良いのではないか。やはり評価基準のない優劣は意味をなさない気がするし、後者の文ならば「文化を評価基準とした場合、その評価は評価者依存である」が含まれるような。。。気がしないな。もっと別の文がよい。


件の侵略戦争は「経済的な優劣(評価者非依存)」と「文化的な優劣(評価者依存)」を混同したのが原因なのではないか。別に混同しなくても「わしがお前らを豊かにしたるけーの」とか言いながら侵略してるような気がしなくもない。あと、ソースが提示されていなかったはずなので本当に「文化的に引き上げてやる」と思って侵略したのかはわからん。興味もないのでこれはこの辺で考察終了。