数学は「信じる」対象か考察メモ

今は物理学信者だが、昔は数学信者だった。しかし、そもそも数学は信じるものなのかという疑問が浮上してきたので、一応その考察ログ。


まず、物理学は信じるものである。物理学は所詮「100%仮説」であり、現状を説明するための「妥当な推論」の結果でしかない。その推論の元で色々な応用や新たな知見が得られたとしても、それは推論の妥当性を上げるだけであり、推論が事実であるということではない。それ故に「信じる」対象である。


それに対し、数学はフィクションである。人間の考え出した虚構である。「ドラクエの世界って信じる?」という言葉が意味を成さない程度に、「数学って信じる?」という言葉が意味を成さない可能性がある。と同時に、数学は観察結果の一般化でもある。すなわち物理学と同じ構造を内包する。ただし、数学と物理学は同じ階層にあるのではなく、数学はあらゆる学問より上の階層(=さらなる抽象化)にある。


物理学に「絶対」はない。今まで無量大数を越えるであろう回数の検証に堪えただけの話であり、「同じ状況」で「同じ事」をすると「同じ結果」になる可能性が限りなく100%であると予想されるに過ぎない。


それに対し、数学には「絶対」しかない。どうあがいても1+1=2であり、2の10乗は1024である。例外が存在し得ない(連立方程式の「解なし」なども、「例外」ではなく数学の範疇だと思っている)。それが「絶対」であり、疑う余地などが存在しないため、信じるか否かという事に意味がない気がする。


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やはり、「絶対」しか存在しない以上、数学は信じる対象ではないのだろうか。数学の発生はおそらく現実世界の観察によるボトムアップだと思うのだけど、定義から始まるその構成は極めてトップダウンに見える。


あるいは、他の学問も数学と同様に「定義から導かれるフィクション」と捉えれば、つまり現実世界との関連を無視すれば、そこに「絶対」は発生するのだろうか。そんな気もする。「物理エンジン」で描かれる世界ならば、そこには確かに「絶対」が存在するかも。


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まとめると。
数学は他の分野よりも一つ上の階層(抽象)にあるため、現実との関連がその分薄くなり、それ故に「数学世界」と「現実世界」を別々のものとして捉えるようになる。切り離して考えるため、「数学世界」での出来事が「現実世界」で成立するかどうかに焦点が当たらなくなる。その結果、「数学世界」の「絶対性」に焦点が当たるということ。
子供の頃はフィクションと現実の区別が付かず、「数学世界」と「現実世界」を対応させて考えていた。故に、物理学と同様に「信じるか」という余地が生じ、数学を信じた。ということか?


順番が逆だったら多分永遠に数学信者だったんだろう。「信じる」→「フィクションだと知る」の流れだったから離れた。「フィクションだと知る」→「信じる」だったら数学は美しいフィクションだからたぶんずっと信じた。


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書いててなんか違う所がある気がするものの、一つの視点としてはありかなと思う。