「ロサンゼルスBB連続殺人事件」読了メモ

いや,実際に書こうと思っていることは本の内容とはあんま関係ないんだけど.
一応,真面目なことだから平日中にメモ.


アニメ放送も終わったので,「ロサンゼルスBB連続殺人事件」読了.終わってから見る,というタイミング合わせは良かったようだ.(ジャンプを見る習慣がないもんで.)
とりあえず,「何故Lはオープニングで回し蹴りをするのか」がわかった.どーでもいいか.この本で「何故"彼"が現場に来る必要があるのか」という最初に感じた違和感も解消してくれるのが嬉しい.まだ残ってる疑問はあるが,反芻しながら解消することにする.
たぶん,「違和感・疑問→解消」の過程が自分は好きなのだろうなと自分を観察していて思う.この「モヤモヤ→スッキリ」はとてもアレに似ている.


で,こっから派生.前述の「善悪」の思考もそれ以前のあれやこれやも全て「違和感・疑問→解消」というものであり,今も自分の中に「違和感・疑問」が湧いてくるのが嬉しいと感じている.
つまり,アレと同様「過程」こそが大事なのであり「結果」には意味がないのだと思う.「違和感・疑問→解消」の過程で発生する気持ちよさ(エウレカ!ってやつか.最近だとアハ!になるのか)を求めているのであり,その結果導出される「結論」はわりとどうでもいい.その「結論」が自分にとって納得のいくものであればそれでよく,他人がどう思うかは考慮しない.「意味」があればそれでよく,「価値」がなくても気にしない.「自分にとっての事実」でさえあれば「一般的な真実」である必要はない.


前々から薄々は感じていたし,森氏の「ミステリィ好きはわりと"この程度でよいのか"で満足する」という類の文章を読んで感じたこととも一致する.ただ「気持ちよくなりたい」だけなのだと思う.それを今回強く感じたので,明文化してみた.
とはいえ,あくまで「動機」の部分であり「エンジン」の部分なだけで,それ以外の要素もあるにはあるのだけど,今日はもういいや.


さらに派生で「俺がモヒカン族を目指すのは楽しく生きたいからだ」とか,さらに派生で「モヒカン族とは常にモヒカン的なのではなく必要な箇所でモヒカン的な人間を指すのだと捉えている」とか書こうかとも思ったけど,さすがに平日の最終日の自宅でそれを書く気力は残ってはいない.今の安定した精神状態はまだしばらく続くだろうから自己安定のためにそれを書くこともしばらくはないだろうし,またなんかの拍子で思い出したときにでも.