もう一度、本能はどこまで他人を考慮するか

言い直すと、「どこまで本能は他人を考慮するようにできているか」あたりか。「繁栄するために他人を考慮するようになった」というのは嘘になるが、それは「他人を考慮すること」そのものを否定するものではない。「繁栄するために子作りする」が嘘であっても「子作り」自体は存在するし、それを求めるように。


で、それを考えるために「何をして本能と呼ぶか」が必要かな、と。単純に言えば「先天的なもの」と言えるか。もう少し突っ込むと「それをやることで(結果的に)繁栄すること」と言えそうだが、この段階ですでに疑問が生じてしまう。
個人的に疑いなく本能と呼べるものは、

  • 食欲
  • 性欲
  • 睡眠欲

の3つ。
食欲は外部エネルギーを取り込むことで優位に立つことができ、性欲はそのまま長期間の種の存続を可能にする。
だが、睡眠欲は何だ。どう考えても寝ないほうが有利じゃんとか思う。
本能レベルでもある程度の社会性は認識しており、誰かが守ってくれると仮定した種も残る、という風にも考えられなくもないが、たぶんもっと一匹狼的な動物でも寝るだろ、きっと(どうでもいいけど、狼は実際には群れで行動するから、「一匹狼」とはつまり群れを(ry)。
考え方としては間違ってない気がするんだけど。「繁栄要素を持つもの」は淘汰されずに残るし、「どうでもいいもの」はバラツキが生じるので共有はされないと思うし。


ということで、本能の定義段階でひとまずつまづく。あまり広げて別のが入っても意味がない。たぶんもう少し考える。


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あらためて考えると、眠ってるのに淘汰されないってのはすごいな。