「論理で人を騙す法」読書メモ2

昨日に引き続き。たぶん、来週の水曜日まで続くのではなかろうか。


・「評価基準は人によって異なる」というアレが登場してたよ。やはり「単語の定義の曖昧さ」として扱われてた(「語句の混同」の項)。


・「論理的かどうか(正しいか否か)」と「説得力があるかどうか(納得できるか否か)」は、やっぱり別物っぽい。
たぶん、Bleachにおける「実力」と「OSR値」の違い(from The 男爵ディーノ)やら、オウガバトルのシステムやらみたいに、「実際の力量」と「現実世界での力のバランス」は割と関係ないというか相反するというか。
さらに一般化して考えると、人は「お約束」には勝てない、みたいな?
「ちょっと俺が見てくる。お前らはここにいろ」と言ったら、その人がかなりすごい人でもその人は「やられなくちゃいけない」という「お約束」のもとに行動が支配されてしまうように。
セガールだったら無事に帰ってくるのでは?」という問いも、それはセガールの実力ではなく、「セガールは無敵」という「お約束」が上記の「お約束」を上回ったに過ぎない。
脱線した気がするけど、要は「実際の二つの対象の完成度の優劣」よりも、「どうなった方が自然か」が優先する感じ(後者の説明はもう少し改善すべきだな)。


・しかしまぁ、つくづく「論理と学習は相性が悪い」と感じる。論理は「結果→原因」だけど、学習は「原因→結果」。論理は能動的で、学習は自動的。上手く相互補完できるかなぁ。


・「言ってること」と「やってること」が違うってのを一般化すると、「今喋ってることは、この議題とは関係ない」という感じになる。そしてそれは、意外と多いっぽい。例えば件の「勉強が役に立つ」というのは、「学校でどういう勉強を教えるべきか」という議題では(「役に立つ勉強をすべき」を支持するものとして)意味を成すが、「現状の学校の教え方は是か非か」という議題では無関係(現在学校で教えられてる勉強と、役に立つ勉強は別物であるため)。なので、「言ってることは完全無欠で矛盾がないのに、違和感を感じる」というのは、「今話し合ってる内容とは関係ない」ということを感じ取っているため、という可能性がある。


・「自分の説明を補強する」のは論理の補強、「自分の説明のイメージをよくする」のは説得力の補強。どちらも悪いことではないが、別物であることは認識する必要があるか。


・「印象のコピー」でかなり色んなものが一つにまとめられる。「ラベル張り」は「悪い印象のコピー」で、「有名人の起用」は「良い印象のコピー」。


・本の内容はかなり詭弁まわりの例が豊富で良い。内容へのツッコミや、訳注による内容へのツッコミへのツッコミも発生するものの、それはこの手の本では宿命的に発生するもんだと理解したので、そこはどうでもいいや。
「詭弁対策の本を読む→詭弁に対する知識を得る→早速試したい→あ、この本で試せばいいや」みたいな流れだな。実際には、詭弁は理解を促進する手法としても使われるので、そこ自体はツッコミどころではない。でも、ツッコミたくなるのが俺のサガ。


・すごいのがあった。「選択肢が実質一つ」ですらなく、「(選ばないという選択肢まで含めて)どの選択肢も駄目にする」という手法。例自体は目新しくないんだけど、改めて構造を見るとすげえ。