「どどんぱち」でググったら「もしかして:怒首領蜂」と出た件(とはあまり関係ない内容)。あるいはゲームの楽しみ方について。

少し長いので分離。


Little Big Planetに対して「何をして良いかわからない」という類の意見があり、それに対して「自分で見つけるからこそ楽しい」という類の意見が少し前にあった。で、それについてぼんやり考えつつ、自分の中に二つの立場があるらしいのがわかったのでメモ。


1つは「楽しみ方は人それぞれじゃん」という立場。「一本道なゲーム」も「何でもできるゲーム」もどっちもあっていいじゃん。別に自分の好みを他人に押し付ける必要はないじゃんという考え。
もう一つが「楽しみ方を知らないのは損じゃん」という立場。「自分で見つける楽しさ」を知らないというのは「勉強=ゲームであり、考える過程が楽しい」を知らないのと同じで、楽しみ方を知らないってのは損じゃないかという考え。


自分の中の二つの派閥で共通しているのは「楽しい方が良い」という観点であり、「楽しみ方は人それぞれだよ派」の場合は「色んな楽しみ方があって良いわけで、自分に理解できない楽しさを潰す必要なんてない」という派生であり、「見つける楽しみを知るべきだよ派」の場合は「楽しみ方を知れば楽しめるようになるわけで、楽しみ方を広める必要がある」という派生である。実際にはもっと複雑だったり、他人の思想まで入れるともっと広くなるけど、ぐちゃぐちゃになりそうなのでこの程度でまとめておく。


で、とりあえずの結論としては「楽しみ方を公開しつつ、わからないのは放っておく」というスタンスが自分にとっては最良。
ただ、自分には理解できないアメリカンジョークがあるように、あるいは自分には理解できない若手の芸人のネタがあるように、「楽しみ方」を教えられても楽しめない可能性が高いんじゃないかと思ってる。たぶん、その人間の「経験(文化)」が「楽しさ」に影響していて、その「経験(文化)」を共有できないと楽しめないんじゃないか、と考えている。その考えに基づくと「楽しみ方を公開する」意味はあんまないかなーと思うのだけど、だからといってスルーだけってのは寂しい感じ。


ひとまずここまで。「経験」を共有することで楽しめるようになるのなら、その「経験」を作って与えることとかも考えを進めたいところ。「経験」ってのはたぶん「1つのゲームの経験」というよりは「時系列に沿った特定の順序のゲームの経験」みたいなもんなんだろうなーとか。「そういうゲームが多かったからそれに慣れた」みたいな。「スト2やってたからギルティ」とか「グラディウスやってたから怒首領蜂」とかみたいな。もしかしたら自分にとっては普通(弾幕マンセー・コンボ最高・自分で発見する喜び)でも他人にとっては極端な嗜好(何このウネウネ・何が起きてるのこれ・何したらいいかわかんないよ)なのかもしれん。ここは自分や自分のまわりを観察してもわからないか。自分と関係ない集団を観察しないとダメか。


ていうかマンセーは古いな。なんか。まあいいか。古いし。