他の雑記

・睡眠時間7時間弱?今週の傾向+思い付きの食事+洗濯のコンボで相変わらず床につくのが遅かった。もう日数ないから設計してもしょうがないか。帰郷してからの就寝のタイミングは決まってないし決められないか。ノリ次第だもんな。

  • 社内Wikiの感想まとめ(こっちにまとめてどうするよって感じでもあるが。まぁ下書きとして)
    • 約2ヶ月使用した段階での感想
    • メリット
      • 現在の行動を文章化することで、その行動の必要性を評価しやすくなる
        • そもそもの目的は何だっけ?とか、その目的のために今やるべきなのはこれだっけ?とか確認できる
      • 他人に進捗を(間接的に)報告できる
        • 完成したものが気になる部分だったら、すぐに確認に来れる
      • 感想までつけることができる
        • 所要時間だけ書かれていた場合、それが本人にとって速かったのか遅かったのかがわからない
    • デメリット
      • 時間がわかりにくい
        • かかった時間を自分で書く必要がある
        • 社内ブログとかだったら、投稿した間隔から自動的に所要時間が割り出せる
      • 「まとめ読み」と「日ごと」の両立が難しい
        • ブログだったら、「特定の日」「特定の月」「特定のタグ」などで限定し、一覧にできる
        • 調べればできるのかもしれんけど、逆に言えば調べないとできない
    • その他
      • この雑記を書いてるため、Wikiなどに書いても「他人に見られる」という感覚が薄い
        • 「他人に見られる」を意識したプレッシャーを感じることができない
        • モチベーション維持の道具としては自分には使えない
      • 久しぶりに「見てるよ」系のリアクションがあってビビる
        • ここみたいに変なことは書いてないので大きくはビビらなかったが
        • そういえば、リアル世界での反応は初めて

もっと書いておきたいことがあるんだけどまだ言葉にならん。とりあえず今言えるのは「社内ブログの方が使い勝手良さそう」ぐらいか。


・社内ブログにトラバってあるんだろうか。どんな風につながるんだろうか。メールとの違いは?まぁ色々あるか。


・「自分の知っている知識」を「知らないであろう相手」が「マイナスの情報を提示したとき」に「突撃」する?
「自分の知っている知識」=「極めてプラスの印象を与える事象に関する知識」
「知らないであろう相手」=「本当に知らないかどうかは関係ない」
「マイナスの情報を提示」=「プラスの印象の相殺?」
相手が知ってるか知らないかはあんま関係ないか。「自分の知っているプラスの事象」と「相手が提示するマイナスの事象」が重要か?


・ゲーム関係の定期「購読」サイトが多少増えてきた。んで、自分の所属する会社がアホなことに乗っかってることを知る。
「いわゆるクチコミ」(全然クチコミにならない類のもの)をやっていたらしい。
WiiやDSならまだわかるんだ。ネット初心者と層がかぶってる気もするし、短期的には利益が上がるだろう。
でも次世代機でやるのはどうなのよ。提灯記事に騙される層はそもそも次世代機なんて持ってないだろうし、次世代機持ってる(コアであろう)人間には提灯記事は意味がない。むしろ評判を下げるのみ。
という感じで、なんか久々に失望を味わうのだった。いいんだけどね。上のためじゃなくて企画のために居ることにしたのだし。


・否定だけでもなんなんで、どうすれば良さそうかぐらいは考えてみるか。対象はそのまま次世代機向けゲーム。
まず、「次世代機を持っている」という時点でかなりコアな人間であり、提灯記事では動かない。彼らはいわば「違いがわかる人間」であり、
あ、無理だ。俺は違いがわからない男だった。違いを説明できないよ。
でもエミュレートで反応予測は何とかできそうな範疇ではある。観察してみるか。まずは探すところからだけど。
ていうか、「違いがわかる人間」に「違い」を解説してもらうだけでもいいんじゃないかという気がしてきた。投げやりすぎか?


・「突撃」にせよなんにせよ、何故否定せねばならぬのか。と考えて上を見るとさっそく自分が否定しているので、サンプルに使ってみる。
たぶん「改善」を期待するんだろう。「諦め」を感じているときは「突撃」とかしないし。そして、その改善は「自分にとって都合が良い」がメインか。「自分が不愉快だからやめさせる」みたいな。一応、「公共的に云々」という冷静な対応も考えられるが、その場合は普通は「突撃」とかしない。
で、上の自分の例だと「恥ずかしい」と感じるために「やめて欲しい」と願う。リアルの方では自分がどの会社に属しているかは知られているわけだし、その会社が上のようなことをしていると知られると、すげぇバツがわるい。「いや、俺はプログラマーだし」とか「他の部署だし」とか言っても他人にとってそれはわりとどうでもいいはずだもんなぁ。
ということで、「改善」を期待して愚痴るのか。
ならば「否定」を掲げる人を見たときには「どう改善して欲しいのか」を観察すれば良いのか。


・思い出したので一応メモ。学生だったときに電車内で聞いたおばちゃんの話
A「オーラって本当にあるのかしら」
B「美和さんが言ってるんだからきっとあるんじゃない?」
みたいな会話。その頃は「本当にあんな番組見る人がいるんだ」と考えて、今考えると「論理よりも説得力」みたいな感じ。あるいは、改めて「論理よりも誰が話すかが重要」みたいな?
サンプル一つで云々ってのもアレだし、ここで終了。


・「信じるかどうかの判定」に「自分と同じ意見かどうか(自分と同じ学習をしているかどうか)」は含まれているとは思うけど、比率がまだ良くわからん。他に考えられるのは「その人の発言が現状と合致してるか(でも、これも合致の判定が主観で云々)」とか「その人の予測が実際に当たったかどうか(そんなに長期間観察するか?)」とか。なんか「コメンテータ」の話でそんなんがあったな。
人とは限らんのだよな。「site:ac.jp」で大学に情報源を絞るように、新聞だとかTVだとかもある。


・一次情報は自分が見たもの=自分がソース。二次情報は誰かが見たもの=TVとか新聞とか?
と思って「一次情報」でググる。ビミョー。
思考実験。「車の衝突事故が起きて、両者がブログで自分の正当性を主張するとき、何が一次情報で何が二次情報か」
当事者の言い分だから「両者の意見」が一次情報か?あるいは現場を見た「警察から出た情報」が一次情報か?あるいは「現場そのもの」が一次情報で、わざわざそれを見に行かねばならぬのか。
「当事者の意見」よりも「警察の情報」の方が信頼度は高いのではないか。それは「二次情報>一次情報」にならないか。「現場そのものを見る」場合でも、自分に相応の知識がないと上記のどれよりも信頼度は落ちるのではないか。ならば「信頼度」とは「その人間(組織)の情報処理・公表能力」に比例するのか。
「その情報を信じるか信じないか」は「それを伝えた人が自分より情報処理能力が上かどうか」で判断するのも一つの手ということか。逆に考えると、「情報を疑え」という人は「自分の情報処理能力はそんじょそこらの奴より高い」と思っているのか(普通に勘繰り過ぎだ)。


・「相手の提供した情報」を何回か自分で「確認」することで、「相手の信頼度」を決定する、か。
初めて「信じるための手順」みたいなものが出てきた。「確認」の内容がまだ決まらんが。「相手と同じソースをもとに」「自分の情報処理能力を使って」「結果を比較して」判断するのか?
たぶん、なにがしかの違いは発生するので、その違いが何に起因するかを特定して、以降はその部分を気にしながら情報を受け取ればいいのか?
問題は自分で「確認」できないとき。上の警察の例みたいに、著しく「知識」が欠落している場合の信頼度の決定方法。


・「否定」は「社会評価」か。社会の規模はおいとくとして。まぁそれはどうでもいいや。それによって起こる現象よりは、それを引き起こす原因の方に興味。


・ちょっと用事ができて残業になってしまった。別に大変なことじゃないんだけど、やたら時間がかかるのが難点だ。