Wikipedia衆愚化の主張に対する考察ログ

また「Wikipediaが衆愚化してる」というようなタイトルを見かけて「どうせマイナーな情報が間違ってるんだろ」と思って開いたら本当にその通りでがっかりしたわけだが,この手のエントリーにいくつかの傾向があるのが気になったのでその考察ログ.


現在思いつく傾向としては
1:Wikipediaの人物に関する項目が間違っている
2:Wikipediaに対するある種の幻想
3:一部が間違ってたから全部信用できない
あたり.


1:Wikipediaの人物に関する情報が特に間違うのはいくつかの原因が存在すると思われる.すぐに思いつくのは悪意を持った書き換えが行われやすいこと(特にその人物に対してネガティブな感情を持つ者によって).科学的な事象とは違い,他者による検証が困難なこと,あたりか.


2:Wikipediaへの意見として目に付くのは極端な理想論と極端な否定論である.まぁ,そうでなければ言及もしないか.Wikipediaには自由参加型の編集機能があり,賛成派はこれによってどんな間違いもいつかは修正されると楽観し,反対派は悪意を防げないと悲観する.実際には編集合戦に代表されるように当然どちらも起こりうる.それ故に悪意がある限り現実世界の辞書並みの精度になることはないし,善意がある限り嘘だらけになることもない.すなわち善なり悪なりの意思がある限り極端な結果にはならない.


3:たとえば現実世界の辞書ならいくつかの間違いを含めばその辞書そのものの信頼は落ちる.しかし,Wikipediaは現実世界の辞書とは割りと異なる.
//メリット
・誰でも編集できる:あらゆる知識を集結できる
・あらゆる分野を一つの場所に集めている
・項目の数,深さと広さ
・リアルタイム性
・外部ソースへのリンク
//デメリット
・誰でも編集できる:必ずしも正確な情報ではない
そもそも「Wikipediaを現実世界の辞書と同じくらい正確にしよう」という発想が間違っている.「人間と同じ思考ができる人工知能をつくろう」という発想ぐらい間違ってる.それなら現実世界の辞書を使えば良い(人工知能ならば人を一人雇えば良い).現実世界の辞書にさらに検索機能などの利点が付けばそれは望ましいことだが,正確さを求めるならば現実世界の辞書を電子化するほうが手法としてずっと良い.WikipediaにはWikipediaなりのメリットがありデメリットがある.Wikipediaを現実世界の辞書よりも信用するのは問題だが,Wikipediaに現実世界と同様の正確性を求めるのもまた問題である.


////////////////メモ/////////////////////


Wikipediaは複数人によって編集されるため,同じ項目内でも情報の信頼性には差が出ると考えられる.さらに前述の通り悪意ある書き込みも存在しうる.そのため,ひとつの項目内でも各情報に対して受け手には真偽の判断が求められる.これは「この人の言うことなら信用できる」というようなものよりも情報処理コストが高い.


Wikipediaの自浄作用は「悪意側」のコストが高くならない限りこれ以上はよくならないか.時間のコストを払うのは修正側も同じで相対的には差がない.


いわゆる「2.0」と称されるものは既存のものとは似て非なるものである.つまり新しいものであり,それ故に反応が極端な賛成(革新派)と反対(保守派)に分かれているという見方もできる.


クラスター化も考えられる.類は友を呼ぶというアレ.悪意を持った言い方をすれば「お前がそんなだからそんなやつが集まるんだ」という風になる.悪意丸出しだな.


最初は説明文を「1について」と書き出したが,それに続いて頭の中で「よ〜い...ドン!」まで言われてしまった.寝不足がたたったようだ.早く寝よう.


メリットとデメリットの話って麻薬の話にもあったな.両方教えたほうが効果が高いってやつ.メリットを教えるだけでもデメリットを教えるだけでも駄目なのはどんなことでも同じなのだろうか.