トニオに対するmuffdiving氏の姿勢への感情に関する考察ログとそれに付随する思考実験

はてな界隈では割と「トニオ=頭がアレ」が共通認識っぽい.相変わらずトニオのオマニー記事に一定数のはてブがついている.さらにその関連としてmuffdiving氏のブログNC-15にてトニオ非難(批判で済ませられない気持ちはわかる)を読んだ.で,その感想が嬉しいとか爽快とかそういうもので,この感情に関する考察ログ.


たぶんこの感情は「悪者」をやっつける「正義のヒーロー」に対する憧憬と同じ類のものであり,それ故にその感情に危機感を抱く.この構図に対する問題提起を二種類見たことがあって,一つは「ヒーローを求める世界は不幸だ」というもので,もう一つは「ヒーローを求める群衆は何もせずにただ全てをヒーローに押し付ける」というもの.自分にとっての悪者(=トニオ)に対してスルーカしか唱えない自分に対し,口汚く真っ正直に罵れるmuffdiving氏.この感情の発生ゆえに責任をmuffdiving氏へ押し付けて自分はそれを外野で見ているだけなのではないかということへの懐疑,焦燥,責任感.


それがここをプレイベートモードにすることへの抵抗につながるのか?プライベートモードにすることを「逃げ」として感じるのはここらへんが原因か?とはいえまだ主張があるわけじゃないんだよなぁ.いつかやるのかなぁ.


排除方法としてみると,スルーカは無視による相手の価値の縮小による排除で,非難は相手の価値の否定による破壊的排除.よくよく考えると排除方法としては組み合わせても良いものなのかも.ただ,燃料の断絶と補充と見れば衝突するか.


わかった。自分の行動に対していまいち自信が持てないのは「モヒカン族だったらどう対処するか」を考察していないからだ。後で考える。


////////////////////////////


んで,こっから思考実験.トニオがアレでトップがアレだからオマニー本体もアレな感じで見られてるっぽいが,はてブをぼんやり見てたら他に面白い記事もある模様(あれをニュースとするかどうか疑問だが,トニオがそれ以上にアレだ).


上に書いたとおり「トニオ=悪」という単純な思考に自分は支配されているわけだが,思ったほど「オマニー=悪」とはなっていない.ならばオマニーからトニオとトップのアレが追い出されたら意外とオマニーを支持しちゃうんじゃないか?それが内部紛争によるもので「トニオとかトップのアレとか」という「悪者側」と「その他のまともな記者」という「ヒーロー側」に分かれた結果だったらスルーカを発動できない自信がある.っていうかむしろ祭りに参加しかねない.


あまりにアレと書いたから「アレ→アレレ〜?→バーローw」に途中でなって萎えた.実験ここまで.