勉強=遊びの例え

ついでなので「勉強=遊び」の方の例えもメモしておく.


「本物の勉強=サッカー」
「学校でやる勉強ごっこ=リフティング」


勉強はその発祥から言っても遊びであるのは間違いないと思ってる.それが受け入れられないのは学校でやらされる「勉強ごっこ」を勉強だと思っている奴が多いからだという風に考えている.上の例えで言うと,「他の奴らはリフティングの事をサッカーだと思っている」という感じ.


本物の勉強はサッカーと同じく分野(ポジション)が色々存在し,その上手さは簡単には数値化できない.見る目がある人間ならば数値化しなくても評価できるが,クソ教師どもには数値化してやらないとわからない.なので「サッカーが上手い→リフティングも上手い」という理屈でリフティングの回数で評価がなされるようになる.


最初は多分それで良かったんだと思う.知らんけど.ただ,今ではリフティングしか教えない.それがあたかも本物のサッカーであるかのように.そしてそれ故にサッカーが嫌われるのだ.


サッカーの例えは色々なことを説明できる(プロになれば金になる,リフティングが上手くてルールを熟知していてもサッカーが上手いとは限らないetc.).
さらには「説明」だけでなく「どう解決すべきか」まで示すことが可能(まずはサッカーをさせよう,ルールは少し間違ってても後で修正すれば良いetc.).
それ故に「例えは説明にしかならない」という仮説があまり信憑性を持たない.