違和感:勉強編

「何故勉強するのか」の議論を聞くたびに毎回(たぶん中学あたりから)違和感を感じていて,さっきそれを説明する例えを思いついたのでメモ.


「しゃぶれよ」
「なんでそんなことをする必要があるんだ」
「このテクニックさえ覚えれば金になるし就職にも有利だし,他人を喜ばせることができるんだ」


つまり,言ってることは正しいけどやってることは間違ってるよね,っていう.だから,いくら反論しようとも相手の言ってることは正しいのだからそれを突き崩すことはできない.しかし,子供にとって言ってることとやってることの識別は困難(自分が今気付いたからだけども).なので相手の「やってること」を非難することができてないんだと思う.


「じゃあ,あんた一人でアメリカでヒッチハイクできるかい?」と言う事さえできれば相手をたじろがせることはできる.英語の教師ですらそれが可能な人間は少ないだろう.いわんや他のクズをや.たぶん「いいから黙ってしゃぶれ」みたいな事を言われるのがオチだけども.


俺は「勉強=遊び」と認識していてゲームやらクイズやらと同じ扱いなのだけれども,クソ教師どもはそうは思っていないっぽい.たまに「勉強とは自分の意思(意志)でやるものだ」という教師がいて「あ,こいつはわかってんのかな」と思うけどやっぱり間違ってる.「しゃぶるには愛が必要だ.だから愛を持ってしゃぶれ」と言うくらい間違ってる.


今回の例えの難点は人前では使えないことだな.