ウェブ人間論読書メモ2’

ばらばらだったので「打算」を中心にまとめてみる。


まず、自分にも「打算を嫌う」という概念がある。自分の行動にしても他人の行動にしても。ただ、それが他人にとっての「打算を嫌う」とどの程度違うかが不明。内容とマッチしたアフィには特に嫌悪感は感じないし、たぶんその感覚はこれからの「普通」になるだろう。ただ、「楽しいから一緒にいるなんて打算だ」と言われて納得してしまう俺はどうなのよ。「普通」なら「それは打算とは呼ばない!」と反論するのではないか。


自分にとって「打算」が定義されていないのが問題か。あるいは「友達」という概念が定義されていないのが問題か。あるいは有益性=経済的な有益性となっていないのが問題か。


そもそも何故打算を嫌うのか。おそらくは社会的な何かの反応であるが、中身は何なのか。「不当な報酬を得ている」とかそういう考えなのか。


といった疑問が起こっていまだ答が出ない状態にいる。というのがあのメモの趣旨。たぶん。