「打算」考察ログ

ちょっとまとめ。


自分にとって興味があるのは「なぜ打算を嫌うのか」であり、「打算の本質とは何か」ではない。前回の例で「互いに打算で利用しあっている場合」には嫌悪の感情は発生しない(あるいは極小である)ということを確認したので、「非対称な状況における嫌悪感の発生」について考える。


あとでシャーク行為と比較してみる。


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「代替不可能性」を「代替可能性が極めて低い(代替が困難)」とみなし、代替のしやすさをものさしに検証してみる。すなわち、代替のしやすさが異なるほど嫌悪の感情が大きくなるかを検証してみる。


お金はそもそも代替するためのものである。故に、代替可能性が極めて高いとみなす。
個人の感情は一般に代替不可能とされる。故に、代替可能性が極めて低いとみなす。
それらの中間にあるのが各種の物体であり、それらの代替可能性は多様であると考えられる。


「金」で「金」を得ること(円でドルをとか?)に嫌悪は生じない。
「個人の感情」で「個人の感情」を得ること(愛?)に嫌悪は生じない。
「金」で「個人の感情」を得ることは強い嫌悪の対象となる。


ならば、「金」で物質を得る場合、その物質の代替可能性に依存して嫌悪の大きさも変わるのか。


一般に、代替不可能な物質ほど個人の愛着がわきやすいと考えられる。つまり、物質だけでなく個人の想いまで含まれてしまう。そういう物質は排除したい。


またあとで続き。


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代替不可能な物質に個人の愛着がわくのは,代替不可能であるが故に長い間その個人が所有しているからだ,と考えてみる.ならば,何らかの拍子で手に入れてすぐの代替不可能物ならばどうか.