議論と信用問題メモ

詭弁パターン構築のため、詭弁論理学を読み直して思ったことのメモ。


ネット上では「泣き」や「脅し」による強弁が使いづらい。
個人名や住所をさらすと「脅し」が可能になってくる。
それを要求する人間は信用できない。


結果からの原因の推定だし、あまり現実味はない。ただのリアルでの立場の問題。


それは割りとどうでもよくて、「議論に、信用できるかどうかは関係ない」という発言の価値。
確かに、議論の内容自体は相手が信用できるかどうかなどは関係ない。例えば、「悪人の言うことだから間違ってる。悪人が1+1=2と言った。だから1+1=2は間違ってる」というのは詭弁になる:ラベル張り。
信用が重要になるのは、議論の前の段階、すなわち「この相手は議論するに相応しい相手か」を判定する段階。「ダメな議論」でも言及されているように、議論の前にそういうフィルタリングをかけることで時間やら思考やらを無駄にせずにすむ。なので、「信用できない」というのは「その発言は間違っているはずだ」ということではなく「その相手と議論する価値を見出せない」ということなのではないかという推測。