努力云々の雑記

考え事して眠れなかったので吐き出しとく。文脈のない文の羅列=雑記。今日はちゃんと寝る。


努力云々祭りも一段落したっぽいけど、結局「反努力派」は何が言いたかったのかが良くわからない。祭りに後の方から参加したせいか、「批判」や「分析」は良く見かけたものの、「意図」や「要望」はあまり見なかった気がする。もしかしたらそもそも要望などなくて「何も求めちゃいないのに努力を押し付けんな」と言いたかっただけなのかもなぁとも思う。


覚えてる範囲では、「自分への評価・報酬をもっと上げろ」というのがベースだったような気がする。それが社会的なもの(金銭・地位)か精神的なもの(理解・救い)かといった違いはあるが。


具体的にどうして欲しいのだろうか。「努力してないやつも努力してるやつと同じ報酬がもらいたい」のか「無計画な人間にも計画的に生きた人間と同じ報酬を払って欲しい」のか「成果に応じた報酬をきちんともらいたい」のか「再び努力する気を起こしたい」のか「努力しなくても生きていきたい」のか「今感じてる苦痛から逃れたい」のか。


努力したかどうかなんて関係ない。いくら手をばたつかせて「努力」したところで空など飛べるはずもない。あるいは「下手な歌」を「頑張って」歌ってもそれが報酬につながるとは限らない。それで「こんなに努力してるのに報われません。ちゃんと報われる世界にすべきです」とか言われてもなぁという感じ。努力してないから非難しているわけではなく「何もしていない」から非難している。(社会的にせよ精神的にせよ物理的にせよ)必要とされることをしてないなら評価も報酬も得られない。
ちなみに「こういう仕事がないと世界は成り立たないんだ」という理屈だと、「音楽は皆に必要とされてるんだ。だから(私の下手な歌にも)ちゃんと報酬が払われるべきだ」となる。「仕事が必要とされること」と「個人が必要とされること」は違う。その仕事は必要かもしれないけど別の人でよいかもしれないということ。


それは「病気」に似てるなとも思う。他人にその苦しみを理解されなかったり、仮病だとなじられたり。気合の問題だとか、うがいなどの習慣の問題だとか言われたり。他の「病気」の人に共感してみたり。誰もが経験しているのに治ってしまうと理解を示せなかったり、自分の病気と相手の病気をごっちゃにして考えたり。この苦しみを何とかして欲しいと思うけれど、それは決して自分さえ助かればそれで良いということじゃなかったり。
それなら必要なのは医者か薬なのかもしれないが、どうにもいかがわしい。現段階では信用できないというかなんというか。否定するわけではなく疑っているだけ。そういえば普通の医者や薬も自分は疑っているのであった。すっかり忘れてた。自分で調査したわけでもないのにねぇ。


たぶん、この手の人を見たときに感じる嫌悪感は自己嫌悪というか同属嫌悪というか過去への嫌悪というかそんなやつなんだろうな、と思う。「環境のせいだ」とわかった時点で「じゃあ環境を変えよう」という行動を導き出せたはずなのに「誰か環境を変えてよ」としか言えなかった(言わなかった)自分や、「どんなに努力しても、もはや誰にも認めてはもらえない」という事実をうすうす感じながら他に認められる術をしらないがために延々と「努力」し続ける自分や、全てを諦めてるように見えて実は何一つも諦めることができずに動けない自分や、レールの上しか走ったことないくせにレールの外まで知った気になる自分を、勝手に重ね合わせて勝手に嫌悪してる。昔の自分の写真をさらされて感じるいらだちにも似ている。


結局僕を前に進めるのはいつも諦めだったな、とか勝手に設定をつくったりする。嘘ではないが真実でもない。