「数学ガ○ル」読了メモ

まぁ一応、タイトルは検索やら自動キーワードリンクに引っかからないようにしてノイズにならないように多少配慮。書評でもなければ感想でもなくただの連想だからね。


コマ大数学科の本を読んで多少あの感じを取り戻しつつ、帰郷に時間がかかるのでその時に読んだ。
で、「楽しかった」とか「この問題とかは他の人にもわかるんだろうか」とか感想はあるものの、メモしておきたいのはやはり「予想通り、若干へこんだ」という事実の方。青春ものというか恋愛ものというか、そういう要素が入ってる場合へこむだろうなぁと予想していて、思ったほどそういう要素はなかったものの、それでもその少し入った要素によって多少へこんだ。で、最近は幸せそうな人たちを見かけても普通に「幸せそうで良かったなぁ」みたいな感じになるのに、何故恋愛ものみたいな本を読むとへこむのかを考えてみた。
対象を本に絞り、色々思考実験をしてみた結果、「書き方が第三者視点ならへこまない」「書き方が当事者視点の時にへこむ」という結果が出た。これは、さっきの「幸せそうな人たちを見たときの反応」にも当てはまる(幸せそうな人たちを第三者として観測)。
理由は色々考えられるけど、ひとまず「自分と他人を比較することによってへこんでいる」と考えるのが妥当かな、と。「当事者視点」になると、実際にその「幸せな感情」が自分の中に発生して、実際の自分と比較してしまう、みたいな。「第三者視点」ならば、それは自分とは断絶した別世界の事象であって、自分と比較するようなものではない、みたいな。
そう考えると、自分に起こった変化というのは「他人の幸福を喜ぶ感覚の獲得」ではなくて「自分と他人の断絶の認識の獲得」なのかなぁとか。


とりあえずまとめてみると、自分は「感情移入」ではなく「観察」によって楽しんでいるようです。でいいのか?まぁいいか。