未分類の雑記

・睡眠時間5時間半程度。早めに寝ようと思いつつゲームの誘惑に勝てない俺なのでした。まる。体調はわりと普通。昨日よりは眠気は軽い。


Twitterにしてもケータイの件名なしにしても、大人が大人の文化だけで考えようとしてるのかなーとか。大人とは呼ばんか一般的には。一般って何だっけ。平均のことだっけ。どちらかといえば自分の文化だけで判断しようとしてるとか。あるいは公私を分けられないとか。色々想定できるが確定するために観察するほどの興味はない。


・公私:「会社のメールは件名入れるべきだから、趣味のメールでも件名入れろよ」、「会社の文章はきちんと書くべきだから、趣味で書くものもきちんと書けよ」


・さっきようやく「件名なしメール」の本文見た。感想は特にない。プログラマとしては「設計はそれでよいのか?」とかないではないが、はてブ米であらかた出尽くしてるので書く気が起こらない。


・「件名なしのメールなんて」→「米なしのはてブなんて」
で、本文がはてダに対応したりとか?文字数制限とかは共通。


・正当進化→正当進歩:語呂が悪い?いや、「進歩がない」みたいなネガティブな用法に慣らされただけか?そうでもないな。単純に「進化」の方がかっこいい、ってだけだろう。たぶん。


・「自分の頭で考える」ができてないんじゃなくて、「自分の頭で考えた結果」がああなってるだけっぽいって感じではある。「考える」の定義が違うのかもしれない。
足りないのは「知識」かもしれないし、「知識の使い方」かもしれないし、「経験」かもしれない。言ってて「知識」と「経験」の違いがわからない。どちらも「学習」によって獲得するもの。レイヤが違うのかな。確かそんな感じだったはずだ。
「知識の探し方」もあるな。


・「常識で判断しろ」という人が「常識にとらわれるな」とか言ったら面白いかな。
今なら「常識的に考えて」と対比させるほうがいいか。
「常識を振り回すような奴は信用できないだろ...常識的に考えて」に加えて、
「常識にとらわれてるような奴はダメダメだろ...常識的に考えて」ができるのか。
似てるような違うような。一応、「他者への常識の適用」あたりで分けて考えることはできるか。


・間違えたなら修正すればいいじゃない。
っていうただそれだけのことだと考えてるので、それができてる限りは特に問題視はしてない模様。
むしろ「皆のリテラシが上がって楽しい間違いがなくなったらどうしよう」とかを不安に思ってる模様。


・情報に関するリテラシは方法論として一般化可能なのか。「常識」は「ただの学習結果」だと自分では捉えているので、「常識」に立脚したものは自動的に却下になる。「その分野の知識」がないと真偽の判断は極めて困難。いや、「真偽を判断すること」だけがリテラシではないのか。「疑わしさ」の判断とか?
もっと手前から書くべきか。そもそもは、「一次情報を確認せよ」というのは「肉はスーパーじゃなくて牛を殺して手に入れろ」とか「魚は魚屋じゃなくて海で取れ」みたいな感じで、「無理ではないけど、自分にとっておおよそ現実的ではない(時間などのコスト的に)」という結論に達しているため、一次情報の確認の代替案があるのが望ましい。む、こっちの方向じゃなかった。
「一次情報の確認の尊重」は「流通の否定」に見えて、仮にそれが可能だとしてそれは一般的な手法に落とし込めるか、という問題。上の例えでは、「動物の生命を奪うことによって食料を得ることが可能」という一般化ができるように見えて、その一般化に意味はないというか、実際の行動に落とし込むにはまだ問題がある。例えば「生命を奪う」ことを考えると、魚と牛では素早さによる捕まえにくさや殺傷の難易度など色んなことに違いがある。さらにそれらを「調理する」「保存する」場合にも同様のことが言える。実際の情報でも「情報の探索」「情報の調理(自分が理解できるものにする)」で同様のことが起こって、一般化自体が無意味になったりしないか、とかそんな問題。
興味ないわりには文章量が多いな。さっきの「知識の探し方」とかに関連するからか。


・情報と食料の例えは面白いな。「獲物を探す=情報の探索」「獲物を捕まえる=関連情報の特定」「獲物をヤる=文脈の特定」「獲物を調理する=意味の決定」「獲物の保存=文章化して他人に見える形に」とか?わりと無理がある気がするが。


・「ありえない例え話は理屈として間違い」なんじゃなくて、「そもそも例え話は理屈ではない」というのが現段階での私見。そもそも「ありえない事象」なのだからこそ「ありえない例え」が適切、とも言える。
で、それはそれとして、例に挙がっていた「皆で仲良く並んでゴールするという平等主義」とか、よく自分の想定する「手をはばたかせて努力してるけど空が飛べません」とかは、「例え話」以外に「皮肉」というか「冷め」というか「蔑み」みたいなもんも含んでる気はする。攻撃性。多少の憎しみが入っているため、それによって説得力が欠如するという側面はあるか。


・今更ながら、「学校でやってた国語の要約」ってのは意味があったんだなぁと。いや、身につかなかったから意味はないんだけど、「何故要約するか」にはもともと意味があったんだなぁと。メタというか一段上のレイヤに移動することを意識して、文章の流れを見るには「要約」ってのは良い手段なのだな、ということをわりと前の実験で思った、というのを思い出したので。
で、やっぱり学校の国語の授業同様、それを他人に伝えることが今の自分にはできないのであった。