未分類の雑記

・睡眠時間7時間くらい?眠い。


Appleがパソコンを封筒に入れたなら、こちらはそれよりもっと小さい封筒にケータイを入れればいいじゃない。
いや、同じ封筒からたくさんのケータイが出てきたほうが面白いか。


・0から1へ飛ぼうとしすぎなんだよな。「1に向かえ」というのは「間を飛ばして0から1になれ」ではなくて、「1になるために0.01でもいいから積み重ねろ」的なもの。あるいは「0のままでいるな」とか「−1に向かうな」とか。


・例えば、消しゴムを手にとって手を離す。消しゴムは地面に落ちる。
消しゴムにとって、「地面に落ちることが嫌」であるとして、ならば地面に落ちたことは消しゴムの責任か。
(例えが残念だが)消しゴムにブースターがついていたとしたらどうか。
そのブースターの存在に気付かない場合は?知っていてもまだ使ったことがない場合は?知っていても使う気がない場合は?
で、「0:知らない状態」「1:自由に飛びまわれる状態」かな、と。「1:自由に飛びまわれる状態」を目指せと言うのは「いきなり1になれ」じゃなくて「0.01:まずは使ってみる」あたりからかな、と。
しかし、例えが残念すぎる。現実感がない。代わりの例えを考えてまた組み立てたいところだが。
人形とモーターかな。「落ちる」代わりに「倒れる」とか。モーターとロボと学習の話を連想するな。


・「0から1へ行く手段」ってのは「学習」そのものなのかもな、と。「強化学習」と呼ぶべきか。
強化学習するロボットの動画はないかなぁと思って探して見つけたのは強化学習ロボットSTUDIOUS[スタディアス]プロジェクト
最初の「右も左もわからない状態」であがく部分とか、動かないと基本的には何も学べないこととか、時間はかかるけど一応頭の中の計算だけでも「正解」は求まる点とか、環境や個体の性質によって「正解」が異なる点とか、そもそも一般的な「正解」など存在しない点とか、わりと共通点は多い。
今度からはソレを「強化学習」と呼ぼうかな。学校でやるのは「正解があらかじめ定められたもの」だから(文字通り)「教師付き学習」なわけで、「強化学習」が行われる機会自体がかなり少ないのかもしれない。場合によっては「強化学習なんて存在しない」とか「強化学習なんてできるわけない」というループに陥る可能性もあるか。


・もっと「0→1」を気軽にトライ&エラーできる環境が欲しい。気軽であればあるほど、ループを抜け出せる可能性は高い。


・ここらへんのことを考えるのは、たぶん自分が0と1の間にいて、その正当化のためなのかな、と。「1」に居る人は「0.01」の存在とかは知ってるだろうけど、「0」の人には「0と1」しか見えなさそうだし。てか、それは「自分が0の時にそう見ていた」というだけの話か。


・「持つもの」と「持たざるもの」。
だけではなくて、「持とうしているもの」「持つ気がないもの」「持ち始めているもの」とか。
「持たざるもの」として「持とうしているもの」と「持つ気がないもの」を同列に扱っている時点で、それに立脚した論理はおかしいんだよな。言語定義っちゃ言語定義だが。ただ、無視しているなら無視していると言って、欲しいかなぁ。どうだろなぁ。どうでもいいしなぁ。
長くなったな。分離しとくべきかな。


・「はてな村」って「雲」なのかね。遠くに居れば確かにそこにあるのに、近づいてもよくわからない。そういう「個体同士がゆるやかにつながった存在」?


・どうも自分は実行確認しないと不安なタイプのようだ。SVNまわりのあれやこれやで2日間実行確認できてないのでマイナスの感情がたまっている。でも、こんなんで2日も確認できなかったら普通は不安になるんじゃね?とも思うので、平均に対してどうなのかはわからん。「設計がばっちりなら途中で実行しなくても構わんよ」という人種が存在するのは認識しているが、そういう人達がどの程度存在するのかがわからん。


・そういえば、昨日だったかタスク管理について考える時に「そういやGTDって何だ」と思って調べた。作業の洗い出しはGTDの一環だったっぽい。


・眠気と上のマイナス感情のため、memecyの振る舞いがややハイになってる感じ。もう少し自重したい気もするし、memecyの役割としてはこれで良い気もする。


・「詭弁のガイドライン」っぽいのを見つけて懐かしくなる。「心構え編」の部分まではできてるけど、その先が難しい。「心構えの伝達」が自分には無理。いくら「勝ち負けを気にしないことが重要」と言おうとも、「やっぱむかつく」という単純な原理で否定・拒絶・否決される。自分を観察する限り、「スルーカ」によってそこら辺が達成されてるっぽいけど、それは本当に「スルー」しているだけであって、面と向かい合うとやっぱりむかつく(この事象は確認済み)。なので、器がでかくなってるわけではない。なので、「スルーカを身につけろ」というのも解法として正しいのかわからん。さらに言えば「スルーカの身に着け方」もわかってない気がする。少なくとも説明は出来ない。なんとなく「自発性」というか「もっとモノを作りたい欲」と相関してるように見えるが、相関してるだけで特に理屈は見つけられてないし、その欲求の誘発方法も知らない。
詭弁まわりはここらへんで止まっている状態。最近ログしてなかったので現状だけ。


・解説技法を応用するなら「体験させる」ことが重要なんだろうか。何か「むかつくお題」に対して大喜利をさせるとか?それはそれで「哂い」につながる可能性もあって云々。
多分、実際に「何かを得る」という体験が出来れば、あとは簡単なんだろうけど。


嫌儲からどうやったら解放されるのだろう。たぶんそういう系・システムを実現した方が楽だし確実。でも思いつかないと進まない。
どうも「そこに見出す価値」と「アフィ」の釣り合いが取れてないのかな。嫌儲側の脳内で。
例えば、「慣性の人」の例の本の列挙で、以前のエントリを知ってる人は「こういう考え方が出来る人が選ぶなら、それなりの価値が期待できる」と思うけれど、初見の人にとっては「よく知らない人が本を列挙している」と思う。ここらへんの解釈側に生じる「見出す価値の差」あたりが原因?だとして、どう解決する?「見出す価値」というよりは「受け取れるかもしれない価値」?
ちょっと嫌儲から距離を置いてるので、観察が足りない気もする。でも、自分がもともとそういう人間だから、脳内だけでなんとかできる気もする。でも、サンプルが自分だけでは心許ない気もする。


・「ある程度知っている人達」という小さい「系」の内部では嫌儲が発生しないなら、この世界自体を「系」に見立てる、あるいはもう少し狭めてネットまわりを「系」に見立てれば。
という話に持っていきたかったんだけど失敗した。まぁ、これはこれで良し。


・プログラムの実行確認が出来ないフラストレーションのために、最近にしては多めの雑記でお送りしています。
そろそろ改変期だし、早めの2時間スペシャルみたいな感じで。
改変期ってことは、そろそろLifeXXckが終わってLifeXXck Finalが始まり、その後LifeXXck Returnsを経てLifeXXck : Another Sideに至った後、LifeXXck Classicで締めるのかな。LifeXXck Encoreかもしれん。


・マス目を使って「BOID」+「ライフゲーム」で何かできないかなぁと考え中。というか、実行確認がいまだにできんので考えることしかできん。
そいや、「3次元のライフゲーム」って見たことないな。どうやって「見る」のかもわからんが。
→ぱっと調べたら、試み自体はなされているっぽい。
ライフゲームはまた今度だな。制御が不安定だ。


・「そいや」という単語の多さが、思考の飛びの多さを示す。