未分類の雑記

・睡眠時間8時間+2時間。昨日はだいぶしんどかったので早めに寝たかったが、いつもの時間あたりにしか眠れなかった。いっそ、1時間半くらい早く床につくべきだったか。寝起きはばっちりだったが、もっと寝ないと駄目じゃね?となってさらに2時間寝る。今度は寝起きがしんどい。平日なみ。


・昨日はしんどい状態の中、何故しんどいのか考えていた。が、しんどいのでよくわかんない。ので、まずはしんどさから解放されるために何故しんどいのかを考えて、でもしんどいからよくわからなくて云々。
で、まずは自分の認識パターンを観察。どうもあらゆる事象のマイナスの側面しか見ていない。「自分の存在が一度として感謝されたことがあったかよ」とか「自分が苦しいときに誰かが助けてくれたことなんてあったかよ」とか。前者は少なくとも1度はあったし、後者も忘れてるだけで2桁はある(自分が認識できてないものまで含めれば3桁はあるんだろうけど、ここでは無意味で云々)。その事実を華麗にスルーしてマイナスに浸っている状態。
ということで、強引にプラスを見つけることにする。昔の偉い人が言っていた「自分で自分を褒めたいです」戦法を使ってみる。「さらに危ない人になっていくなぁ」とか思いつつ、久々に脳内彼女を使用しつつ褒めてみる。本当に危ない人だよ。書かなければいいのに。書かなければいいのに。
まぁ、そんな感じで少し脱出できたので、あらためて原因を探ってみる。原因となる「事象」についてはある程度あてがあるものの、もう少し一般化して考えてでてきたのは「未知への不安」。
よくよく考えれば自分は「未知」に対して異常なほどに不安になるタイプなのだった。幼稚園の時は自分だけで家から出ることはまずなかったし、小学校の時は自転車で見知らぬ場所に行くなんてことはなかったし、まぁとにかく「自分が知らないこと」「自分が予測できないこと」に対して極めてマイナスの評価を与える人間だった。
で、それだけなら「そういう人種も一定数いるよね」とか「じゃあ一生普通でいようね」で済ませられるんだけど、いかんせん自分は「ありきたりな変人」に分類される人間なのであった。頑張ってレールの上を走ってきたけど、結局中退してしまったし。どうしても「未知」に関わらざるを得ない。
となると、「系を作る」というのも「未知」であり、「設計」してる今はたいしたことないけど、「実装」「運営」となるとまたこんな感じでしんどくなるんだろうか。
もっと気軽に「未知」に挑めて「平気だ」という学習ができればいいんだけど。なんか新しいサービスでも使ってみる?


・「系」についてあれこれ考えていて、「関わる人にとって必ずプラスになる」というのは最低条件だなという結論に至る。当たり前のことのようでいて、「搾取」や「スパム」などのようにそうでない事象も存在する。アレな言葉で言えば「Win-Winな関係の多人数への拡張」とかか。


・そういえば、なんで自分は「自己啓発」というのをこんなに嫌ってるんだろう。となって思いつくのは「新興宗教」。昔の自分にとっては「自己啓発」=「騙されてる」だったっぽい。で、その学習の影響で今もまだ嫌悪感が残っている、と。観察する限りにおいて、「騙されてる」以外のパターンが存在し、むしろ自分にとってもそっちの方が楽という結論は出せるのに、昔の学習の影響はでかい。


・「観察」は、対象を見るために「時間」を要し、推測するために「思考」を要する。眺めてるだけのようでいて、意外とコストは高いのかもしれない。「観察」という名称がいけないのか。でも「結果を導かない観察」は「観察」じゃないし、結果を導くためには思考を要する。
「観察するかどうか」を決めることも重要ということ。カリングみたいだな。


・ケータイを買う意欲が日に日に下がっている。「さすがにずっとコーディングしてるのは同じところに負荷かけすぎじゃね?」とか「電車の中ではむしろ本を読んでた方が良くね?」とか。むしろ電車の中でスポーツができれば良いのだが。


・「そろそろLDRのフィードも元に戻してよいかな」と思った矢先に精神状態が悪くなる。不安定だなぁ。前回のは結構な安定点だったっぽいのに。
最近は帰りも遅くて養分の摂取も不十分っぽいので、土日は普通に休む。月火は出社するけど。


・例えば、「&」論理積として「A&B&C」が正しいかを求める場合、「Aは正しい」「Bは正しい」を知っているだけでは不十分で、「Cは正しい」かどうかまで知っている必要がある(どれか一つが「正しくない」というのがわかればそれでいい、という件はひとまず置いておく)。
その上で、「Z=A&B&C&D&E&F&G&H&I&J&K」という風に膨大な情報を持っていないと正しいかどうかの判別もできない情報があるとする。
これを、何も情報をもっていない人に「解説」するのは難しい。どれか一つが間違ってるならば話は早いが、「解説」するのはたいてい「Zは正しいんだ」という方向なので、「AもBもCも正しくて、DもEもzzz...」という風に全ての正しさを伝えなければならない。さらに、「A=M&N&O&Pで...」とかなってMとかの知識も必要だったりする可能性がある。
そう考えると、「Zは間違ってる!」と言うのは意外と簡単なのかもしれない。
まぁそんな感じで、「前提知識が大量に必要」なものは「解説」は理論上難しいなぁという話。「構造」だけならまだ伝達は楽なんだろうけど。


・思い立ったがなんとやらで、大学の教科書を引っ張り出す。色々な断片を思い出し、大学の記憶すらほとんど吹き飛んでいるという事実にあらためて小規模なショックを覚えつつ、「条件式の簡易化のアレ」は「カルノー図」という名前だったことが判明。「楽しかったなぁ、あの演習」とか思い出す。というか、基本的に「演習」は楽しいものだ。前提知識がちゃんと自分の中にあればの話だが。知識がないとあれはただの退屈な儀式だ。この楽しさを他人に伝えるとすれば、「新しい魔法を覚えて、敵にそれを使ってみる気分」とでも言えば良いだろうか。


・大学の教科書を久々に読み返して、今ならもうちょっと理解できるかな、とか考える。今なら量子力学もなんとかなるかも、とか考えるがたぶんこっちは今でもムリだろう。ただ、「観察」ベースでいけば何か新しい「解釈」は作成できるかもしれない。
以前よりも(色々忘れているので)わからない量は増えているが、「何が分からないか」がある程度わかるようになっている。簡単に言えば「意味が分からない」。ダメだ、すげぇ頭が残念な人っぽい発言だぞ。もう少し長く言えば、「ソレの目的」「目的を達成するためにどのような手段を取るか」「それらの手段の詳細」などがわかっていない。回路図で言えば、「その記号が何を表すか」「その図は何を目的とする図か」「そのパーツは何のために必要か」「どの部分がコアで、どの部分がサポートか」などがわかっていない。わかっていない場所さえ分かれば調べることができる。


・大学の授業で、最初のうちまったく理解が出来ないものがあった原因はだいたい推測がつく。高校までの段階で「国語」「数学」「理科」「社会」という特定のカテゴリのみを長い間学習したため、それ以外のカテゴリを学習する習慣がなかったから。過学習の一種と言えるのかもしれない。