今日の雑記

・睡眠時間7時間半くらい。床につくのが遅れたが寝つきはまずまず。「理想の世界」を思考しようとして上手くいかないなーと思いながら寝た。


・とりあえず自分が信じることのできる理想の世界は「選択肢が今よりもっと存在する世界」すなわち「もっと自由な世界」だった。
ファラリス教徒としては今より自由であることを正しいことだと信じることはできる。
無論、選択肢がない世界を望む人間が居ることも知っている。「選べる」ということは同時に「選ばなければいけない」ということであり、「選べる」ということは「どんな結果になろうとそれは自分が選んだこと」となる。それに耐えられない人間が居るのも知っているし、自分ももともとそれに近かったけど、それでも「今より自由であることは正しい」と信じることができる。
というか、放っておいてもそういう生き方は残るだろう。いわゆる社畜としての生き方がそうだし、新しいもので全てが置き換わるとも思えない。だから自由を信じて生きていくことは可能だ。


・あと、「個人開発でやっていく自分」を想像してみたんだけど上手くいかない。具体的にどういうスケジューリングで生きているのかがわからないし、仕事してない時間に何をしてるのかも想像できない。
なるようになれとも思うが、もうちょっとちゃんと考えたいなー。たとえ現実と食い違うとしても。やっていることが見えればそのための努力もできるし。


・サーバの機能やら料金やらを調べているんだけど、一昔前のWebページっぽいところだとどうしても印象が悪くなってしまうな。
無論、重要なのはサーバの機能とかの方なんだけど、どうしても見た目に印象が引きづられる。


・最近のめだかボックスは「すごいんだけど面白くはない」という実例のオンパレードのような感じなので、なんか逆に資料的な価値が高い気がしてきた。
本当にすごいはすごいんだよな。「100個のUniqueで意味のありそうな能力を挙げる」のも「特定の文字を使わずに2〜3話まわす」のも確かにすごいんだ。そして前者はまだそのすごさに驚くことで楽しめなくもない。しかし後者はもはや驚くこともできない。


・サーバの調査は調査系なので、意図的に休憩を入れないとまたいくらでも時間が持っていかれる。ということで雑記を書いて休憩。


・一応、去年の今頃に1ヶ月ほど個人開発だけしてる状況ではあったんだよな。そしてあまり休めていない。少なくとも今の仕事量よりはるかに作業をしていたと思う。
そして今も仕事と個人開発を並行して進めているのであまり休めてない気がする。平日の帰宅後にやると身体を崩すのがわかっているのでさすがにそこまではやらないが、土日の片方は普通に潰すしなー。
まぁ理想で言えば平日に4時間ずつ働いて土日は完全にフリーな生き方なのだけど、それはそれで上手く想像できない。その作業時間でも1〜2週間に1つのアプリをUPすることは可能だというのは予想できるけど、空いた時間に自分が何をしているかがさっぱり想像できない。


・自分が関われる「もっと選択肢のある世界」とは「学校に行かずとも学習ができてそれで食える、という経路がたくさんある世界」であり、その一つの道が自分の目指す個人開発の道であり、そう考えるとこの夢に賭けられるのではないかと理性では思うのだけど本能側は肯定も否定もしない。本能が肯定してくれないと信念にはならないんだよなー。


・サーバに詳しくない状態から調べたのでわりと疲れたが理解は進んだ。
サーバなどを一通り用意してくれるホスティング型とサーバはこちらで持ち込んで回線などを向こうが用意してくれるハウジング型がある。
データセンターは恐らくハウジングとほぼ同じ意味で、基本的にはラックや回線などの提供だけだが、最近だとサーバのレンタルまでやっていたりする。
100Mbpsを越えると?従量課金ではなく定額が多い。普通に定額のほうが多いのかもしれないが。


・そういえば今日はバッグを家に忘れたまま駅に到着し、電車が来るのを待つかーと思ってバッグを下ろそうとしたらそもそも背負ってないことに気付いたのであった。
夏休みとかで背負わずに移動するのに慣れてしまったのかな。帰郷中はさして外出しなかったけどな。


・「自分に期待しなくなった」のかな。夢や情熱や信念をなくしたことを言い換えると。
「自分に何ができないか」がだいぶわかるようになった。「自分に何ができるか」がだいぶわかるようになった。
「自分に何が向いてないか」がだいぶわかるようになった。「自分に何が向いているか」がだいぶわかるようになった。
「自分にできないことや向いていないこと」には期待しないようになった。
であれば、「自分にできることや向いてること」には期待できるんじゃないかと思うんだけど、それはそれで限界を知ってしまっている。
となれば「限界を超えること」、言い換えれば「学習して能力を強化すること」がないと期待できないのかな。
「できなかったことをできるようになる」とか「できるだけだったのが得意になる」とか。それはそれですでにやってる気もするんだけど。
期待感はゼロではない。ただ、その期待も「このまま行けばここまで行けるだろう」という平凡な予測なのだ。


・そもそも最近「勉強」してないんだよな。と言いながらつい最近マーケティングの勉強をしたのだけど、そういう勉強が継続的なものとかになってない。
自分の中に「勉強してもムダ」という価値観が強く形成されているのが問題だろう。学校で学ぶことがどれだけ役に立たなかったは身を持って知っている。労力をかけてあれこれ考えていたのに、実際にはポンと出された一言で全てを理解してしまうこともあった。
ただ、実際にはプログラミング能力などは(機械音痴なので)本当に滅茶苦茶苦労しながら習得したし、そういう土台があったからこそほんの一言で全てを理解できたのだということもわかる。
ネタ出しと同じで、学習には時間がかかるんだろうな。
ネタ出しの基本は「情報を集めて」「考えて」「考えて」「考え抜いて」「諦める」「そしてふとした瞬間に思いつく」という流れなのだけど、最初の情報収集から実際に思いつくのに普通は数ヶ月単位の時間がかかる。
それ故に序盤に情報収集をしていたことは意識にのぼらず、「ネタ出しなんて閃きなんだからメソッドなんてないし才能のないやつが考えるだけムダ」という思考が支配的になってしまう。本当はそういう土台があるから実を結ぶのに。
おそらく勉強も同様で「本質」に辿り着くためにはイヤになるほどの試行錯誤が必要なんだろう。だからネタ出しの時と同様に自分は勉強のことも誤解しているのだと思うのだけど、理性でそれがわかっても本能はわかってくれないんだよな。実践を繰り返して体験させるしか方法がない。


・自分の能力は拡張できる。最近はそれをツールで実現しているが、勉強によって拡張してないのが問題なんだろうか。
自分がツールで実現しているのは、それを他人にも使えるようにするためであり、自分のような絵が描けない人間でも中の下レベルの画像を手軽に生成する方法を広めるためだったりする。
しかしそれは「本人の能力の拡張」ではない「その人の環境の拡張」だ。本人は成長しない。本人が成長したという自覚を持たない。
そうだな。「成長したという自覚」が足りないのかもしれない。確かに「できること」は増えているのだけど。


・自分の理想の世界について考えてるんだけど、いわゆる一線で働いてる人達が考えてることに似ていくな。あの人達はこれを動力にして進んでるんだろうか。
でも大概の「世界」は自分の代では完成しない。故に次の世代が受け継いでいくことになる。
ただ、自分はそれがイヤなのだ。次の世代のあり方を決めるのは次の世代自身だろう。自分みたいな古いやつらの思想を押し付けたくなどない。
しかしそれも杞憂なのかもしれない。どうせ言われなくとも次の世代は自分たちの道くらい自分で決めるだろう。ならば理想の提示くらいは悪くないのかもしれない。


・「ツールは本人の能力の拡張ではない」という観点で思い出したけど、「コネ」という概念が嫌われるのもそこらへんかなと思う。「コネを作る」のは本人の能力で行われることなのだけど、本人の能力の拡張ではない。
しかしまぁツールを作るのはそれほど嫌われないので違うか。コネというものを「親のコネ」とか「なんか悪いつながり」と考えるから嫌われるのだろうな。
コネとは「コネクション」であり「人と人のつながり」であるわけで、つまり必要な能力は「友達を作る能力」に近く、それを有してない人間に嫌われたり僻まれたりするのだろう。昔の自分みたいに。いや、能力がないのは今も変わらんが。


・今日は調査と調整と休憩だけで個人開発をあまり進められなかったので、残りの1時間ちょいはそちらを進めるかなー。一応次のタスクも来たけど優先度が低いし1日もかからないだろうし。