検定・テストに対する違和感について

=前置き=

 ちょっとメモしておきたいものができたんだけど、雑記に入れるにはちょっと長いので久々に分離。雑にまとめる。

 「資格のための勉強」などに対する自分の「なんか違う」という感覚の根源について。

=是非ではなく齟齬を、違和感を=

 例えば「プログラミング検定」なるものがあったとして、自分はそれに価値を見出さないだろう。別に他人がそれに価値を見出すのは構わないし、採用する側としてそういうわかりやすいラベルが欲しいというのも理解はできる。どちらが正しいとかいうものではなく、そこに価値を見出すか否かの認識の違いそのものをここでは考えたい。

 例を引き継いで考えると、「価値を見出す側」については「採用する際のわかりやすいラベルが欲しいから」という点などが挙げられるが、「価値を見出さない側」つまり自分は何故そこに価値を見出さないか。もっと言えば「価値を見出さない」のではなく「なんか違う」と感じる原因は何かについて書いておきたい。

=学習とスコア=

 違和感について言及する前に、まずは自分にとっての「学習」というものについて説明しなければいけない。

 自分にとって「学習」とは「新しく何かができるようになること」である。新しく何かを作れるのでも良いし、新しい着眼点を手に入れるのでも良い。とにかく、今までできなかった何かを会得することが自分にとっての学習である。

 それに対し、いわゆる「検定」あるいは学校における「テスト」は少し軸が違う。検定やテストの目的は確かに「習熟具合の確認」であり、やっていることは「習熟具合のスコア化」である。目的そのものは妥当であり、この段階では軸はズレていない。だが、受験者の目的は「検定・テストに受かること」であり、「指定以上のスコアを獲得すること」である。この段階で軸がズレる。これについては項を改めて説明したい。

=習熟とスコアの齟齬=

 センター試験などで特に顕著であるが、検定やテストにおいては「2つ覚えておけば確実に5点とれるもの」と「10個覚えても2点とれるかすら危ういもの」のように点効率にズレが生じる。当然「2つ覚えておけば確実に5点とれるもの」の方が効率が良いわけで、こちらの方を優先して覚えるべきだ。そしてハイスコアを狙うのであれば全ての項目において点効率を列挙し、効率の良いものから優先的に覚えることが妥当な手順となる。

 満点が取れるならそもそもこのような手法は不要だが、現実的にはたいていの検定・テストでは満点など現実的ではない。つまり「点効率の良いものを優先する」というインセンティブが働き、それは逆に言えば「切り捨てる部分が発生する」ということである。そして実際にボーダーライン以上のスコアさえとれば一部を切り捨てたとしても検定・テストの結果としては何の問題も生じない。それ故に自分は検定・テストというものに違和感を持つのだと思う。すなわち「切り捨てずに学習することが本来あるべき形なはずなのに、切り捨てることの方が検定・テストにおいては妥当である」という認識と現実の齟齬に自分は違和感を持っている。また、切り捨てられる部分は「重要なものではないから」ではなく「点効率が悪いから」という理由で切り捨てられている部分も違和感の一環だろう。もちろん一般的には重要なものほど点効率は良いが、構造的に(要素が多いなどの理由で)点効率が悪くならざるを得ないものなどもあり、必ずしも一致しない。

=まとめ=

 まぁ要するに「検定・テストに受かるためには点効率だけ気にして不要なものは切り捨てるのが妥当」という現実に対して「検定・テストの目的は全般的な学習を促すものやないんけ」という希望というか願望というかそういうものの齟齬があるが故に自分は検定やテストについて懐疑的であり価値を見出さないのだなぁとか思った次第。実際には「点効率をちゃんと考えられない人間が効率的に働けるのか」などの問題も絡んだりして意外と妥当なのかもしれないが、それで違和感が消えるわけでもない。