「羞恥心はどこへ消えた?(ASIN:433403330X)」読了メモ

タイトルは「チーズはどこへ消えた?」を連想させ,車内化粧を"迷惑行為"と表記するなど,多少安易なつくりを心配したものの内容としては十分だった.わざわざダブルクオーテーションを使って"迷惑行為"と表記したのも,恐らくは「その手のターゲット」には「ただの迷惑行為」として受け取ってもらい,そう思っていない人間には「ただの迷惑行為ではない」というメッセージなのではないかと思う.またも勘繰りすぎか俺.


この本では,盲目の人間とそうでない人間の恥らう行動の差や,世界と比べて日本人は本当に恥を大きく扱っているのか,アダルトビデオを借りる人間に共通する行動パターンは何か,など恥に関連するあらゆる情報を幅広く扱っている.どちらかというと,「質よりも量」という立ち位置で,論理の導出として不完全な部分が多く見られるものの,強弁と呼ぶほどの論理の飛躍はない.「恥の本質に迫るんだ」という感じで読むよりも「恥ってこういう働きがあるんだ」という軽い気持ちで読んだ方が良いと思われるし,実際そういう風に読めるように例も図も言葉の選びも簡単なものになっている.


「羞恥心はなくなったのではなく変容したのだ」という結論や「地べたに座るのはむしろ恥ずかしい思いをしたくないからだ」という意見も興味深いが,個人的なタイミングの問題でもっと興味を持ったのは「恥とネットの関係」である.これはまさに今日体験した「はてブすることへの躊躇」という現象を説明するものであり,俺にとってネットに"セケン"を見いだしている事の証明であり,俺にもきちんと恥という概念はあるということの証明でもある.


まとめとしては「羞恥心の働きについてはあまり深く考えたことないけど,とりあえず軽く雑多なことが知りたい」という俺にはぴったりの本だった.以上.


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前回に引き続き感想文になってしまった.「記憶力を強くする(by池谷裕一)」の時は感想文を書いてないが,たぶん後で考察はするのでこれからも本の感想はログとして残せそう.そしていつもの雑記.


・以前考えた「法律を守れば何をしても許されると思っているのか」というのは羞恥心を用いて説明すると「社会に許容される行為だと思っているのか」ということになる.悪意をこめて言えば「俺みたいに他人の顔色を伺って行動しろ」ということである.嫌いな行動パターンというだけで別に否定する気はない.否定はしないが大嫌いだ.


・「空気嫁」の概念もこの本を読んだ後ではすっきりする.ネット上で見かける「空気嫁」の発言パターンは,羞恥心とネットの関連性の話における「セケンとしてのネットの作用」と合致する.


・羞恥心はなくなっていない(そしてなくなりそうもない)という事実は行動制御に使えそう.他人の行動制御にしても自分の行動制御にしても.対象をタニン化するという手法を確立すればスルーカを唱えるための消費精神力も低く抑えられるはず.


・これを読み始めた頃は恥の概念なんてただの防御機能だから持ってないし必要ないと思ってたけどそんなことはなかったぜ!(memecy先生の次回作にご期待ください)


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・タグの修正とはてな用ASINの追加