「気にならない<多少良い状態」に関するメモ

MORI LOG ACADEMYの「中古品の著作権」の感想とか「はてブ」や「絶叫機械+絶望中止 」で読んで、内容はどうでもいいのだけど気になったことがあったのでその導出過程のメモ。
いや、スゴ本の人が図書館を使うのはほんの置き場所とかの問題だったりするので有料でも良かったりするのかなとか、それってなんて漫画喫茶?とか思ったりしないでもないけど、思いつくだけで興味があるわけではないし。


気になったのは「気にならない<多少良い状態」の導出過程について。自明のようで、多少違和感があったのでその確認作業。


まず、要素の抽出。

AだろうがBだろうがまったく気にならない。CならAやBよりは多少良い状態かなと思う。


まず、判定方法について考える。これは二値判定ではなく多値判定である(二値だと「気にならない」が定義不能)。これは、「良い」というのが優劣判定であり、価値基準を必要とする点からもわかる。


「気にならない」というのは多値でも定義が難しい。「+でも−でもない→0」と言えなくもないが。しかし、後半の文章の「CならAやBよりは多少良い状態」から、A・Bの値によらずCの方が良いという導出ができる。これがscreammachine氏の「どう考えても」の結論である。


通常、価値判断は一つの価値基準では決まらない。たとえば、車の購入の場合は「値段」「燃費」「安全性」「知名度」(外国ならさらに「エコ」)などの価値基準が存在し、たいていの場合それら全てが優れた車はない。ゆえに、これらをどう統合するかが個人の価値観に依存する。そのため、その価値判断は特定の価値基準では他の選択肢に劣る場合がある。まぁ、これは今回は関係なさそうだ。思いついたんだから書いてしまう。


本題は「A・B<C」だからといって、Cを望むか。とりあえず、以下引用。

ただし、僕自身はまったく気にならない。自分の本が中古で売られようが、図書館でただで読まれようが、まったく気にならない(図書館よりは、中古販売の方が少しましか)。たとえば、「もう森博嗣なんか金輪際読むものか!」と本を山積みにして燃やされたとしたら、そちらの方が、古本屋や図書館よりは、多少良い状態かな、とは正直思うけれど……。

MORI LOG ACADEMY: 中古品の著作権

に対して、

燃やしてほしいと言うのは、どういうことだ。

著作物は、燃やしても良いものか。

screammachine氏の考えでは「AよりBが良ければBを望む」ということらしい。それはつまり、「百億円の借金よりは百万円の借金のほうが多少良い状態かなと思う」に対して「百万円の借金がしたいとはどういうことだ」ということになる。あとのscreammachine氏の解説を見てもわかるように、彼は「AよりBが良い」という相対評価から「Bが良い」という絶対評価を得ている。これが成立するためには「Aは評価的に0かプラスである」がいえる必要があり、「気にならない」が「0」を意味するのなら詭弁ではない。そして、「気にならない」の評価が「0」なのかどうかが俺にはわからないから、この先は続かない。


もしかしたら、「燃やしてほしいとは言ってない」と言う人には「気にならない」の評価値は0でもプラスでもないのかもしれない。マイナスとも限らないしな。あと、「無関心」は「嫌悪」に劣るという類のマイナスと捉える考え方もある。


ひとまず、ここまで書いて違和感の正体はわかった。「燃やしてほしい」という絶対評価の説明に「ホゲ<<<<ボゲ」という相対評価を使ってたからだ。そして、その片方の絶対評価地が不定であるということ。すっきりしたのでここで終了。