「恥」の捨て方からの「善悪」の捨て方導出

捨てるといっても0にはできないので、実際には「事実上影響を及ぼさない範囲に影響力を落とす」という行為を「捨てる」と呼ぶことにしている。


で、上に軽く書いたけど、「恥」についてもう一度、自分なりの解釈から。
「恥」は主に「他者にどう見られるか」をコントロールするために存在する。例えば、(一人暮らしの部屋とか)誰にも見られていなければたいていのことは恥ずかしくないし、「旅の恥はかき捨て」と言われるように、もう関わらない人間が相手ならば恥じらいは小さくなる。
で、具体的には「恥じらい」という感情が生成されることによって行動が制限される。そのため、「恥」の影響を受けずに行動するためには、この「恥じらい」の影響を受けなければ良い。思いつく方法は、「"恥じらい"に打ち勝つだけの信念を持つ」「"恥じらい"の度合いを小さくする」の二つ。実際には両方を使う。基本は「信念」で抑圧し、その状態をしばらく維持することで「恥」の学習を制御し、「恥じらい」の度合いを減らす。まぁ言うは易しで、それだけの「信念」を持つことはわりと難しい。そこで、「恥じらい」に対して「邪魔な概念だ」と思うことで「信念」をブーストする。そのために、「恥じらい」を持つことによるデメリットを列挙して、メリットと比較し、それがどの程度邪魔になってるかを理解する。(「諦め」の手法とかなり似ているというか、たぶん同じ)


ということで、「善悪の概念」がどんだけ邪魔かを列挙していけばたぶんできるだろう。「突撃」を外から見るとアレな点とか。もう少しメリットの方を考えてから実行?もう一緒にメリットとデメリットを書き出す?