「突撃」関連雑記:ひとまず区切り

もう金曜日だし、精神状態もおちゃらけに移行しつつあるので、来週には考えないモードに入ってる可能性がある。ので、今日でひとまず区切り。


「突撃」の事象を少し抽象化して考える。

  • リンク云々
    • 理念へのマイナスイメージ
  • 宗教云々
    • 理念の体現者へのマイナスイメージ
  • Wii云々
    • 理念の体現者の作品へのマイナスイメージ

「社員の不祥事→会社への不信感」のように、下から上への拡大は自然。
そのため、「作品→体現者→理想」という拡大が考えられ、共通するのは「理念へのマイナスイメージ」。
さらに「理想→それを支持する自分」という風に「自分へのマイナスイメージ」を回避しようとしている、とも取れるが、実感とは異なるためその線は放棄。
つまり、「理念」を守りたいのだと考えられる。


その動機付けを「理念を守ること=正義」という学習が行われたため、と仮定してみる。
では、どのようにしてその学習は行われたか。

  • マンガ?(「主人公」はそんな感じというか)
    • マンガを読まなそうな人でも発現しうると思う
    • →もっと一般的な学習
  • 日本以外ではそのような学習は行われるのか
    • モンティ・ホール問題への過剰反応は似た感情
      • モンティ・ホール問題への反応は「理念を守るため」というよりは「直感に反するため」
      • どちらかというと、エセ科学を叩く方面
      • 「正義感」のみが共通点っぽい
    • 自爆テロ
      • まさに「理念を守るため」に命を捨てる行為
      • 「洗脳」の過程を知れば、そこらへんの学習パターンがわかりそう


ということで、「自爆テロ」の「洗脳方法」について調べれば前進するんじゃね?という感じ。


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あと、ばらばらな雑記。


他人の恥ずかしい状況を見て自分も恥ずかしくなるのも、学習の伝達かもしれない。


いずれ死ぬのだから「自分の命を守るのが最優先」というわけでもない。
例えば、「自殺」の場合、「これから生きていてもマイナスのことしか起こらない」と考えると、「今死ぬ」という選択が最上。
ならば、「自爆テロ」もそういう学習が行われるのだろうか。
では、何が最優先なのだろう。コンテキスト依存?


空気嫁」との関連を考えると、「全体で共有すべき善」という思い込みとかもあんのかとか考える。ちょっと考えがたいが、一応考えときたいことでもある。