未分類の雑記

・睡眠時間6時間。短いなー。ちょっと音楽まわりの考え事で寝付けず。今週は「7:45までゴロゴロ→準備してすぐ出発」というモードらしい。相変わらず体調はフツー。思考もおそらくフツー。


・昨日の「コスト削減」のやつは、アイデア・思考パターンをwikiに書いておくだけにした。「ネタ出し」という体で。
「ていで」とは読めないな。「からだで」と読んじゃうよ。それはさておき。
経営側には締め出されたオンがあるので(悪い意味で)、感情的にはここが妥当。論理的にはもっと上の方が妥当だけど、業務対象外の行為は論理よりも感情を優先する。
→ということで、例の「コピー用紙の裏は使うな」のブクマから飛ぼうと思ったらリンク切れ。内部の検索(特定のページにしかない)を使ってようやく現在のページに到達。無駄すぐる。


・「複数の解釈ができるほど良い文章」が真ならば、「国語のテストに選ばれる」というのは「解釈が一意に決まる」ということなので不名誉なことなんだろうか。
というあたりから考え始めて、そもそも単純な「複数の解釈ができること」には価値はないよなぁと考え出す。例えば「ねらーは馬鹿だよなぁ」というのは言語定義からくる曖昧性に加えて釣りという概念なども加わり、複数の解釈が可能だが、(少なくとも自分から見たら)良い文章とは思えない。で、ならばどういう風に「複数の解釈」が実装されていたら納得するかと考えて「叙述トリック」方向ならありうるかと考える。「叙述トリック」をもっと一般化し、「普通に読めば平凡なこと」なのに「見方を変えると深いこと」となるような、ある意味「読者のレベル」を計るような、知能・技能の有無で解釈が変わる文章ならありうるか、と。
で、それってさっきの「ねらーは馬鹿だよなぁ」とどう違うのかがわからなくなり、memecyは思考することをやめた。


・思考再開。もし「芸術エンコーディング」の概念が文学にも適用できるならば、「読んだ時に特定の感情を発生させる」という方向もありうるわけで、ならば「複数の解釈ができるほど良い文章」というのはあくまで一つの評価尺度に過ぎない、と言えるのか?


・あと、今まで「叙述トリック」を「りょじゅつとりっく」と読んでいたよ。「じょじゅつとりっく」だったよ。発音しにくいよ。きっと3日後には忘れてるよ。


・小学校の低学年ぐらいの時は、「サビ」しか楽しめなかったよなぁということを思い出した。「成長につれてAメロとかも楽しめるようになった」という方向でも考えられるし、「子供でもサビの部分に感じることはある」という方向でも考えられる。


・ちょっとメモ。再び「依頼」の文章作成中だが、今回は韓国の人への依頼なので、別方向に気を使いながら考える。
「自分が英語で依頼のメールを受け取る場合どうあって欲しいか」をメインにして考える。
まず重要なのは主題。「何をして欲しいのか」が明確に伝わる必要がある。
で、できるだけ簡単な単語を使って欲しい。
細かい話は会って直接やりとりした方が早そうだから、おおまかな雰囲気(方向)がつかめればそれでいいか?そこら辺は人によるか。そっから先は個別の観察が必要と判断。ひとまずこの形式で依頼。


・「フルみっく伝染歌プレーヤー」から「私は人間じゃないから」が抜け落ちてるのは「大人"な"事情」?


・ちょっと概念だけ。「結果」ではなく「経過」が評価されるべきと自分が判断するなんちゃらかんちゃら。
えーと、自分の基本スタンスは「結果重視」なんだけど、別の分野では「経過」が評価されないとまずいな、と気付かされた。(レジデント初期研修用資料を読みながら)
で、なんで気付くのが遅れたかを考えると、「コーディングに確率はないから」あたりかな、と。どんな手に対しても一意に結果が定まるが、病気の治療などは同じ手を使っても結果が違う。
こっから「最適解」の概念とか、「失敗」した場合のとった手の評価とか、色々考えたいが今はその気分じゃない。3ヶ月後くらいかなー、絶対忘れてるよなーということでメモのみ。


・なんかPCが急に落ちたので、念のため一度この段階で上げておく。続きはWEBで。