「言葉による伝達」と「絵による伝達」とスタンス

ちょっと分離してメモ。


「絵を描いて、それが何かを当てさせるゲーム」がある。「絵の伝言ゲーム」。
例えば「シマウマ」を伝えようとする場合、「4足歩行で、首がちょっと長くて、タテガミがあって、シマシマ」という感じの絵を描く。たとえ「首の長さが体の長さに対して比率が違う」とか「タテガミの範囲が違う」とか「シマの方向が違う」とかの問題があったとしても、「相手にシマウマだと伝わる」という目的さえ達成できれば、そのゲームは成功。


「絵」を「言葉」に置き換えたのが、現在の自分の「言葉」へのスタンス。文法や用法が違っても、伝わる限り問題はない。


しかし、「絵」は「伝言ゲーム」に使うだけのものではない。それは「資料用」だったり「観賞用」だったりもする。「資料用」の場合は「厳密さ」が意味を持ちうるし、「観賞用」の場合は「シマウマである」ということが伝わらなくても良いかもしれない。
この場合の「絵」を「言葉」に置き換えると「文法への合致が重要」とか「美しい日本語になることが重要」とかになるのかな、と。「相手の言いたいことが伝わるか」ではなく「相手の言い方が自分にとって心地良いか」とかに比重を置いてるのかな、とか。


結局、「スタンスが違う」程度のことなんだけど、「絵の伝言ゲーム」の例えが気に入ったのでメモ。
ただ、「絵の伝言ゲーム」って何か呼び名があったような気がするのに、何も思いつかないのがくやしい。