自己評価のマイナスとゼロとプラス

仮説が出てきたのでメモ。


「自分は無価値である」とは「自分の価値=ゼロ」ということであり、「自分は有害である」とは「自分の価値=マイナス」ということである。これは他者との比較を要しない。「自分が居る場合」と「自分が居ない場合」を比較することで検討可能(厳密には「自分が"存在する"価値」の判定になる)。
これに対し、「自分は無能である」とは「自分の価値<他人の価値」ということであり、他者との比較を要する。


この違いは、自分の価値が上昇した時に意味を成す。「自分の価値=ゼロ、マイナス」の場合、「自分の価値=プラス」となれば完全に考えが否定されるのに対し、「自分の価値<他人の価値」の場合、「自分の価値」がいくら上がってもそれ以上の「他人の価値」を想定する限り成立し続ける。


で、故に「自分の価値=ゼロときどきマイナス」という自己評価だったので「自分の価値=ちょいプラス」となっただけで満足してしまったのではないか、という仮説。で、他者との比較を要する場合は、「もっと承認を」となるんじゃないか、という考え。
自己評価はそんな感じだったし、他者との比較もそんなにやってなかった気がするので、とりあえずこの考えを採用する方向で。


あとはだらだらと。


「他者との比較」が「相対評価」なので、そうでない場合は「絶対評価」かと思ったけど違う。
例えば「死んだ方が良い」というのは「生きてるのもプラスなんだけど、死んだ方がさらにプラス」という状況でも成立する。「他者との相対評価」に対する「自分との相対評価」。
ついでに、「生きてるのもマイナスなんだけど、今死んだ方がさらにマイナス」だと「生きてる方が良い」になる。


「自分は無価値」をベースにして、「自分は無能」がちょこちょこ付いてた状態から、そのベース部分が改善されたと考えると、まだたまに「自分は無能」がよぎることがあることも、それによって別に揺らがないことも説明できる。