未分類の雑記

・睡眠時間6時間半+二度寝2時間半。やはり帰りが遅いというのはつらいな。


・メモし損ねてたので、少しだけ追加。
発表会を見ていて、ようやく「人を見る目」みたいなものがついてきたことを自覚。「妥協の仕方」だとか「時間、作業量などの把握能力」だとか「パートナーへの気の使い方」だとかが、ちゃんと観察できるようになってた。
例えば「妥協の仕方」ならば「何を中心に作るか」「何を作るのを保留にするか」「保留するにしてもどこまで作るか(雰囲気だけはつかめるようにしておくとか)」とか考えられるようになった。「ちゃんと見れる能力」というよりは「見るために必要な知識が獲得されている」という感じか。


・この前の「赤ん坊にもわかる説明、なんてものはないんだから、誰でもわかるようにする方向は指数関数的に(かどうかは知らんけど)困難さを増す」という概念を拡張して、「赤ん坊にできないことをして、誰にでもできるなんてことは言えないはずだ」という概念が出て来た。
例えば「大人ならば善悪の判断はできて当然」というのは間違いなんではないか、と。「赤ん坊に善悪の判断はできない」→「赤ん坊と大人に明確な境界線はない」→「"男は浮気するもの"と同じ理論で"善悪の判断が出来るのが大人"と定義してるだけで"大人ならば善悪の判断が出来る"というのは順番が逆なんじゃないか」とかそんな感じ。
ちょっと詭弁臭がするな。どこらへんだろう。
そもそもが「赤ん坊でもできること」なんて相当限られてるし、「人間なら当然ほげほげ」という言葉を使う場合、その「当然」は本当に「当然」という意味ではない、とか。「ほげほげな人間なら当然ふがふが」という感じで「ほげほげ」という条件が暗黙に存在するとか。ならばその条件と結論の妥当性が云々とか。
こんがらがってきたな。
要は、「赤ん坊に出来ない」=「特定の学習パターンを経験しないと出来ない」ということであり、その「学習パターンが経験されていること」がどの程度当然であるか、とうことがメイン。「学習パターンが経験されているのにできていない」ならば非難しても良いのかもしれないが(こっちはこっちで疑ってるが)、「その学習パターンをそもそも経験してないからできていない」ならば非難できるもんなのか、とか。
今日は休日!今日は休日!こんなこと考えない!


・趣味のコーディングの進みはまぁまぁ。もう少し時間を買ったほうがいいな。
そういや、「時間は買える(正確には時間コストは削減が可能)」ということに気付いてから、「お金はまぁ必要ないや」から「お金があるにこしたことはないな」という考えに移り始めている。