情報伝達の齟齬関連

適当に書く。まとまらなかったら消す。

解釈

2008年10月28日 ekken はてブ はてブでコメントするのもブログでコメントするのもたいした違いがないと思っているので、100字でおさまるときはブコメで良いやの人です。

違いがあるんだよ。たぶん越権さんには通じないと思うけど。


はてブのコメント」と「ブログのコメント」の違いについての話の開始。

というか、こう言うべきかな。
ブログでコメントするとき、そのブログに、他のブ米もずらっと並べるかい? (無規制で)


その違いを示唆するものとして、「自分のコメントだけ残す」か「他の人のコメントまで一緒に並べる」かを提示。


この時点で推測されるのは、「受け手」にとっての「コメント」と「ブコメ」の違いの話。

あるいは、怒号ワンストップっていうのが問題で、問題というのは、ブ米ページって誰の管理なんだよということ。あー、あれってようするに掲示板だから、2ちゃんですらいちおう形式的に管理しているわけで、そこをブ米ページが管理なしで逃げている。


問題なのは「怒号ワンストップ」であると言明。「怒号:起こって大声で叫ぶこと」「ワンストップ:複数のことを 1 か所で処理できること」。さらに、同じく問題は「ブ米ページの管理者が不明」であると言明。


この段階ではまだ「怒号ワンストップ」の意味を理解できないので解釈保留。もう片方は「管理者不明」の問題であり、「管理者が居る場合」と「管理者が居ない場合」によって何かが大きく違っているのだと推測。

本質的じゃないとかいう批判は先回りして理解はしているけど、ブ米ページなんていうものは、CGIに各人がコマンドを送って見たい人が随時生成すればよいのであって、パーマリンクで存在するなよあんなもの。


おそらく「怒号ワンストップ」の説明。「パーマリンク=ワンストップ」と推測。「見たい人」だけが見ればいいのであって、「そうでない人(not 見たくない人)」は通常は不可視にすべき、という判断?


脱線だけど、「見たい人」の逆が「見たくない人」ではない、というのはちょっと面白いな。正確な「逆」は「見たいとは思わない人」であって、積極的に「見たくない」と思っている人というわけでもない。


で、「見たい人」でも「見たくない人」でもない、その間の存在が重要なのか?と推測を伸ばす。かなり数が多そうな、そういう「見ても見なくてもいい人」に、ブ米ページが「見える」ことと「見えないこと」の差が重要なのか。つまりは「見るためのコスト」の問題か?数の多そうなそういう人たちにもデフォルトで「見える」ことによって、「それにのっかる」という現象が発生しやすく、それをデフォルトでは「見えない」ことにすれば「見るのにコストがかかる」というか、積極的に見ようとしなければ「それにのっかる」ということがムリになり、「数の暴力」の抑制になる、という方向の話だろうか。


ちょっと飛ばして次の引用はここから。

2008年10月28日 SiroKuro はてブ そういう作りになってると思うんだけどなぁ。生成コマンドがパーマリンクになってるってだけで。……あ、つまり検索フォームみたいな奴に URL を入れて、初めてブコメページが見られるようにして欲しいのか。

概ねそういうこと。
そうしたい人はそうすることができる、というか、それはしかたがない。
ブ米を並べた事実上の固定の裏ページ(事実上の掲示板)になっているなら、それの責任者は誰、ということ。


だいたい、上の推測で正しいのかな、と思うが、まだ「責任者」の話につなげることができない。「固定ページなら責任者を」「検索フォームっぽくなればそちらの方が良い」という話に見えるので、「のっかりやすくしてるんだから、責任者が必要」という話かもしれない、が、まだよくわからない。


ついで、また少し飛ばしてここから。

私はですね、「言及対象になっている相手には言及内容が分かりにくい状況」にしろと言っているのですよ。


「中間の人」ではなく「言及対象」の話だったのか?とにかく、「見たい人」と「そうでもない人」が見れる今の状況から、「見たい人」だけが見れる状況への変換が望ましいという考えなのだと推測。

「ブックマークコメントのネガティブ度は上昇、過度に陰口化する」のは大いにかまわないと思っているのです。

これも通じないかもしれないけど、宇宙の果てで「過度に陰口化」してもどってことないですよ。

極東ブログのエントリのだまってコピペブログというのがあるのだけど、私は、それを気にしないんですよ。私の書いたほうがオリジナルなことはわかるし、私が騒ぎ立てなければそれは宇宙の果ての出来事です。

はてブが最低なのは、そこが情報のワンストップ化のサービス、つまり、渋谷のハチ公前とか東京駅の銀の鈴になっていることですよ。それをやめろ、ということですよ。


ここで「ワンストップ」の解説。例えに出ているものから考えると、「待ち合わせとかに使える場所」といえる。つまり、「ここに行けばそういうのがわかる」という感じだろうか。もうちょっと違う気もする。
とにかく、問題にしているのはこの「ワンストップ化」である、というのはわかる。ここに書かれていることから、もう少し推測を進める。
「宇宙の果てで"過度に陰口化"しても、どうってことない」+「私が騒ぎ立てなければそれは宇宙の果ての出来事」ということから、つまり「私が騒ぎ立てれば、宇宙の果ての出来事ではなくなる」&「宇宙の果ての出来事ではないので、問題」と推測される。
つまり、「問題=宇宙の果ての出来事でなくなるようにする」と「問題=ワンストップ化」から、「ワンストップ化」とは「宇宙の果ての出来事ではなくなるようにする」ということなのだと推測される。なんでここまで考えないと導出できなかったのかが自分でも不思議だが、それはまた後で考えよう。
ともかく、「はてブ」は「宇宙の果ての出来事」だったものを「宇宙の果ての出来事」ではないようにしてる、ということなのだと推測。「宇宙の果て」とはつまり、「自分からは遠い場所」「自分の認識の届かない場所」の例えのようであるが、しかし「極東ブログのエントリのだまってコピペブログというのがあるのだけど」の文章から、少なくとも認識はしてるようだ。どちらかというと「自分には関係ない」「自分には影響を与えない」という例えかもしれない。そう考えると、「はてブ」によって「対象に影響を与える」のが問題、というあたりになってくるんだろうか。直接的とは限らず、間接的なものまで含めて。しかし、「「言及対象になっている相手には言及内容が分かりにくい状況」にしろ」を考えるとまだよくわからない。


ここまでで所要時間30分。もう昼休みが終了だ。ファッキンシット。これだから真面目なことは嫌いだ。


もういいや、現状の感想だけ書いてひとまず終わろう。後に出てくる「「相手に見えなければ」という相手の問題じゃなくて」という話から、むしろ「「言及対象になっている相手には言及内容が分かりにくい状況」にしろ」はスルーしてしまって、上で書いた「見たいとも見たくないとも思わない人」の扱いによって、発生しうる「炎上」の大きさや頻度は変わるよね、という話だととりあえず解釈して終了。それなら「潜在」の意味も取り込める。


時間ができた。現時点での自分の結論をもう少しまとめる。

  • はてブって悪意にせよ何にせよ、集まりやすいし乗りやすいよね」という状況が問題、なのだと推定。
    • その問題は「見たい」とも「見たくない」とも思わない「その他大勢」をどう扱うかに関係する。
      • 今は「その他大勢」も「見る」ことができる
      • 見ることにコストを用意することで、「見たい」と思う人にしか見えないようにすると、状況は改善される
        • 「乗りにくくなる」=「潜在的な暴力性の抑制」
  • 「責任の所在の不明さの問題」についてはよくわからん。