雑記:未分類

・睡眠時間6時間。帰るのがすこぶる遅かったので、この睡眠時間は仕方ないか。久々に遅刻ギリギリの出社。


・出社中にビニール袋が川を流れてるのを見て、ぼーっとゴミについて考えてた。
まず、「土に還らないもの」を作れるのってすげーなーと。でも「岩」も土に還らないか?いや砕けて砂になったら云々。しかし、そもそも土に還らないゴミをそこら辺に捨てたとして、どんな実害があるのだろうか。岩との違いはなんだ。
すぐに思いつくのは「嫌悪」だな。ゴミがそこら辺に転がってることに対する生理的な嫌悪。「もうお前市ねと。ゴミをここに捨てたやつは死ねと」という感じですこぶる強い嫌悪感が自分の中に発生する。「これってタバコの時に似てるなー」となって、「そもそも"嫌悪"は学習によるもので、理屈ではない」とか出てきて、「平気で捨てられる人間は、そもそもそういう学習がなされていないのではないか」とか考えて、「じゃあ、いっそ皆がそういう学習をしなければ誰にも"嫌悪"は発生しないから実害の一例にはならないか」とか考えたりする。
そもそもが「土に還るもの」であれば捨てても良いのか?食べ物をそこらへんに捨てていい?雨ですぐ分解されるような本やトイレットペーパーなら捨てて良い?何一つ害はなかったとしても、やはり嫌悪感は生じるな。
「嫌悪」は「規制の理由」としてふさわしいだろうか。「俺がイヤだからやめろ」みたいな。しかし、単純に認めると「この文章を読んで不快になったからお前は俺に謝れ」的なものとか色々と含んでしまう。んで、これは精神的なものの方だけど、物理的な方に置き換えれば「俺が痛いからやめろ」になって、これは単純に理由としてふさわしい気がする。
単純に「規制する・しない」の01で考えるのがおかしいのか。それぞれに「正当性」の大小があるのか。「この不快さであれば、この程度の規制が妥当」みたいな。コストパフォーマンスも絡んできそうだな。
しかし、「どっちを規制する」みたいな話もある。「地震が起きて」「コップが落下して」「地面で割れる」という状況において、「地震」「コップ」「地面」のいずれに非があるのか、みたいな。「地震を起こさないようにすべきだった」とか「コップは割れないように作るべきだった」とか「地面はもっと柔らかくすべきだった」みたいな。この例だったら「まぁ、誰が悪いというわけでもないよ」という結論でもすんなり受け入れられるけど、「傷つける文章を書いた人(ブログ)」と「文章を読んで傷ついた人(読者)」と「それを引き合わせた人(検索エンジン)」であればどうなんだろうな、みたいな。


・長っ!文章長っ!


・この前の「なんでワンピだけグッとくるのか問題」を考えてて、「ワンピだけかっこわるいからじゃないか」という案が出てくる。「他人のために命をかける」よりも「他人のためにかっこ悪いことをする」ことの方が自分の中での価値が大きいのではないかという案。


・そんなに体調は悪くないし、眠気に負けるような状態でもないけど、モチベが低いな。作業がはかどらない。手を動かしてるうちに多少は慣れるけども。


・今月はたいして残業してないつもりでいたのに、そこそこしてた。恐るべし。自覚がない。「20時まで居なければ残業と感じない」とかのレベルですらなく、「そもそも19時半以降まで残っていた記憶がない」というレベル。


・「去年って何か嘘ついたっけ?」と思って読み返したら、「エイプリルフールのネタを考えていなかった」という嘘をついてた。じゃあ、今年は逆に「エイプリルフール?もちろんちゃんとネタは考えといたよ!」という嘘にするか。つか、まじで忘れてた。つか、4月が来るのが早すぎる。