雑記:未分類

・睡眠時間10時間くらい。結局、早めには眠れず、平日のタイミングで寝た。惜しいところまではいけるんだけど。やはり気温が高いのか。服の調整が面倒だ。


YouTubeで気になった曲がiTunesを探してもないことが多いので、逆に考えて「iTunesで売っている曲だけのプレイリスト」とかがあればいいなーと思ったんだけど、この前のニュースで見たら、YouTubeからiTunesへのリンクは今月に入ってから導入されたものっぽいので、しばらくは期待できないか。
→あらためて調べなおしたら、アメリカでは去年の10月から。となると、洋楽ならある程度は期待できるのか?


・「自分が蔑視していたものから得るものが大きい」というのを拡張して、「他人が蔑視しているもの」から何か得られたりしないかなー、とか。ぱっと思いつくのは「自己啓発」か。いわゆる「自己啓発」にも雲泥あるっぽいけど、「泥」はどんだけダメなんだろう。説教&自己主張&偏見の塊だったりするんだろうか。いや、一般的な蔑視の原因は「騙してる」とかそういう方向か。実際に「嘘」なのはどの程度あるんだろうか。そもそも蔑視してる人ってどれくらい詳しく知った上で言ってるんだろうか。ニコニコ動画を見ずに否定してるのと同じ程度?その程度なら、たしかにそこから自分が得るものはありそうだ。
で、もうちょっと組み合わせて、「自分が価値を見出しているものを蔑視している人」を探して、「その人が蔑視している他のもの」から何か得られたりしないだろうか。何か得られる確率はわりと高いと見込んでるんだけど。そう考えると、アノヒトが蔑視しているものがわかれば、そこから何か得られるのかもしれない。ということは、まずは「アジャイル」か。やっぱあっちの本を買わないとダメか。しかし、興味がない人間を観察するのは面倒だな。何かを蔑視している人を見かけた時の方が効率的か。


・野菜補給&やっぱり自作ハヤシうめーということで、久々にハヤシライスを作る。鶏肉の鳥皮煮込みの鍋を流用。どんなもんじゃろ。
「鶏肉の鳥皮煮込み」はだいぶ安定してうまいもんが作れるようになってきた。鍋に塩コショウした鶏肉をしきつめて、その上にまんべんなく鳥皮を乗せていく!そしてオーブンの110度で90分&90分くらい放置&再度90分加熱!鳥皮のほうはフライパンに移してカリカリになるまで加熱!鶏肉の方は切り分けて冷凍保存するなり、ラップして冷蔵&明日に回して再加熱とか。
鶏肉だけだと飽きてきたので、つけあわせで野菜が欲しい。玉葱の味噌炒めあたりがいいだろうか。


・悪く言えば「他人を利用する」。良く言えば「他人の強みを活かす」。


・そいや、「言ってることが全て」とは限らんのだよな。「メモせずとも頭に残り続けるものが云々」と言うのと同時に、「タイトル案を複数出して吟味する」というのをやってたはずだ。


・ハヤシうめー。鶏肉云々の味はまったくしないけど。まぁ、鍋を洗う手間が一回分省けたということで。


・真面目なことは明日に回したいが、メモしないときっと忘れる。
「蔑視」の構造を先に見ておいた方が良いのかもしれない。そうすれば、蔑視の対象から実際に何かを得る時に役に立つかもしれない。
まずは「推測」による蔑視。自分の場合は遊戯王が典型例。「元ネタがアレだから、TCGもアレだろう」という推測に基づく蔑視。蔑視の伝播とも言えるかもしれない。で、これは所詮は「推測」でしかなく、「論理的な帰結」ではない。あくまで思考コストを低減した処理であって、間違っている可能性は十分にある。ただ、「推測」自体が悪いわけではない。全てに思考コストを素直に払うことなどできない。ただ、それが「推測」であることを自覚し、間違っている可能性があることは認識しておくべき。ん?なんか話が違ってきてないか?対応の話じゃないんだぜ?次。
感情的な蔑視は、だいたい「コンフリクト」によって起こる。今までの自分の価値観だと不整合を起こすために反発し、その結果としてその対象を蔑視する。感情的であるために強力で、感情的であるために行動にまで至りやすく、感情的であるために論理的ではない。「感情」もまた「学習」によるものであり、それは「論理的な帰結」とは別物。ただなぁ。感情的になるとそこらへんが認識しにくくなるんだよなぁ。認識してすら抑えるのに苦労するし。だから対応の話じゃないってば。次。
他に何があるだろう。「正しい蔑視」?あんまり何かを「正しい」と呼ぶのはなぁ。「絶対的かつ不変で普遍な正しさ」なんてあるわきゃないと思ってるから、「この蔑視は正しい蔑視」みたいなのは想定してもしゃーないな。ただ、連想はできるか。「似非科学に対する蔑視」みたいな「有害なものに対する蔑視」みたいな。あれもまた「有害であるからこその蔑視」であって「科学じゃないから」まで拡張してしまうと間違う。「科学じゃないのに科学と称してそれが特定の層に対して自分が許容できないほどの被害を与える」からこその蔑視だ。ただ、「似非科学はなんであろうと許容しない」というのが蔓延すれば「有害な似非科学」は確かに居場所が縮まるわけで、わりと難しいというか面倒。そしてまた脱線してるだろこれ。
ま、とりあえず、「蔑視」のパターンを隙を見て考えたいなぁと。自己観察だけでも結構出て来そうだし。


・つか、たいていは「蔑視の対象をちゃんと理解していない」でまとめられるんじゃなかろうか。じゃあ、「知ればいいのに」ってだけの話じゃなかろうか。まぁいいや。構造に興味は出てきたのだ。


・ここまで平日のタイミングで寝てきたので、できれば今日もそのタイミングで寝たい。23時半。できれば23時に寝て、8時間半の睡眠を確保したいところだが。


・応援されることで元気が出たためしがないので、自分が誰かを応援することも基本的にないんだけど、スポーツの場合は重要だったりするのかなぁとか思う。集中して思考に専念したいスポーツだとやっぱり意味ないのかなぁ。


・自分が誰かを応援することはない、と思ってたけど、案外「頑張ってこの人に連載して欲しい」とかは思うな。それも「自分が読みたいから」という欲求からでしかないけれど。別に相手のためではない。


・そいや、「同じようなことを年がら年中考える」というのが苦手になったのか。この雑記で思考の便秘を解消してからは。昔はそれこそ5年くらい同じようなことを考えてたんだなー。そして思考は進んでなかったなー。ムダだったなー。


・なんという腹痛。アイタタタタタタタた。間違いなく次の便は下痢!
なんでだ。ハヤシがまずかったでもいうのか!うまかったのにまずかったというのか!(上手いこと言った風な顔で)


・ちょっと状態悪化中。ちょい早めに寝る準備。まぁ寝れないだろうけども。


・あぁ、あれか。風呂から出て腹を冷やしすぎたのか?ちゃんと腹巻はしてたのに!


・皿洗いしてから寝たかったが、断念して寝る。水曜日に早めに帰れれば、その時にやろう。