今日の雑記

・睡眠時間8時間+α。睡眠時間は十分とは言いがたいけど、起きるタイミングはようやく昔の状態に戻せた。太陽光が見れなかったから体内時計がどうなってるのかよくわからんけど。


・土日はたいしたことはできなかったけど、精神状態も一時的にかなり安定した状態に入ったりした。ので、その時の思考とかもメモ。


・一般論と特殊論の両方が必要。色んな人に当てはめられて色んな人がこぼれ落ちる一般論と、自分にはしっかりと当てはまって自分以外がこぼれ落ちる特殊論と。自分の行動を決定するのはおそらく「自分のための特殊論」だけじゃダメなんじゃなかろうか、という感じ。一般論もエミュレーションの方じゃなくて何かもっと別のものだった気がするけど、もう思い出せないのであった。


・どうやら自分は「反民主主義」らしい。もう少し考えたいところだが。まぁ別にエリート主義なわけでもない。もっと別な形を求めているだけだ。
いつかもうちょっとちゃんと調べたいところだが、いわゆる「自分の頭で考える」というのが国民主権の場合はどうしても必要になる。権力自体はもともと国民が有しており、それをどう扱うかという話なはずなので、各自が持つ力をどうするかというのは各自が考えるより他ない。
そして自分は主にその「コスト」が嫌いなのだろう。個体によって得手・不得手は異なるのに、それでも「権力というものの扱いについて答を出す」ことを強要される。そうではなくて、「自分の得意なことを元に他者とつながることで、そのつながった全体として答を出す」みたいな状態を夢見ているらしい。
で、自分のそれが現状ではただの寝言レベルなのは理解しているというか、まずそれ以前に「日本はまだ民主主義じゃないじゃん」というのがある。自分の戯言は民主主義の先の話だ。「民主主義ってコスト高いよね」という問題が共有されてから出てくる方針の一つだ。つまり、民主主義は嫌いだけどそもそも民主主義を経由しないと辿り着けない。そして今の日本が民主主義とはとうてい思えないので、まずは日本をちゃんと民主主義国家にしないと自分の理想には辿り着けない。
というのを考えていた。この方向でなら興味が持てそうだ。この手のイデオロギーを他人に押し付ける気はないのでここに書き散らすだけだろうけど、ひとまずはこれを抱えていこうと思う。あとは何の本を読むかだなー。プロジェクト終盤だからしばらく忙しいしなー。


・そこそこ眠いな。タイミングがズレただけで、時間は足りてないからな。土曜は8時〜10時という半端な時間に少し寝てしまったし。まぁそれがあったから日曜に早く寝る方法もちゃんと実行できたんだけど。


・日曜に早く寝るために、風呂を活用した。今までは夕方に風呂に入っていたけど、それだと体が冷えてから何時間も経った後に寝ることになっていた。今まで日曜に寝れなかったのは、すでに体が十分に冷えてしまったからかもしれない。ともかく、今回も夕方に風呂に入ったのだけど、それはすでに寝る準備をかなり進めてからのことだった。風呂を出てすぐには寝れないので、体が冷えるまで適当なことをして過ごして、あとはそのまま眠った。


・もうちょっと自分用にまとめ直そう。
寝るタイミングに体温の低下を利用した。食事による体温上昇が下がるのは3時間後、運動なら2時間後、風呂なら1時間後。運動はできなかったけど、それ以外のタイミングを合わせることで寝やすくする。
寝る前のPCは控える。ついつい起き続けてしまうのもあるが、単純に「眠たくなったら寝る」というのに向かない。ノートをたたむのすら面倒だもの。本だったらなんとかしおりを挟むくらいはできるし、なんか眠くなるし。


・そろそろイヤホンの調子が悪くなってきたな。しかし100均でイヤホンを探したけどインナー型がなくなってる。普通のやつは耳が痛くなってイヤなんだよなー。自分の耳は普通の形状と何が違うんだろう。鏡でも自分の耳とか見づらいから、いまだによくわからないんだよな。
まぁそんなわけで、次のイヤホンでストックが切れるのであった。再び千円台のやつを買う必要が出てくるのか。あるいは仕事を辞めた後は通勤しないタイプの仕事に就くのだろうか。まぁそれでも遠出するときや帰郷するときは必要か。


・そういえば仕事を辞める件はちゃんと書いてたっけ。なんにせよ今の段階のをまとめとくか。
契約は7月末で切れる。そしてそのタイミングで辞める。プロジェクトもちょうど終わりだし。そして有給消化があるので実際には7月中盤あたりで辞める。
辞める理由は色々とあるが、どれを書いても的外れだろう。一番大きいのは「後悔する成功よりも後悔しない失敗を優先する」というアレだが、より厳密には「自分の心の声に従う」という極めて胡散臭いものだ。他人に説明するならばまだ「前々回のプロジェクトはメンバーの半数が退職し身体を壊したメンバーや心を壊したメンバーが居たから」の方が説得力がある。実際、これが引き金ではあるが、実際にはそれによって発せられた「声」に従っているだけだ。そしてその声は「ここじゃない」とだけしか言わず、その先の話はこちらで理性的に決めるより他ない。そしてその先の話はまだ決まっていない。
すでに手は不十分だが打ってはある。他人が評価できる作品はすでに作成したし、すでに公開して一定のアテンションは集まり、その一つは他の人の本で紹介されることにもなった。体調がもっと良ければさらに進められただろうけど、むしろあの体調でここまでで来ただけでも十分だろう。そもそもあの段階でアテンションが集まるとは思ってもいなかった。幸運であると同時に、自分を見つけてくれた人に感謝せねばなるまい。
あとは体調をあまり悪化させずに仕事を辞めて、しばしの休養ののち次の「金の稼ぎ方」を探す。転職の前に色々と試したいことがあるので、まずはそれを試すことになるだろう。まぁ失敗するのだろうけど、失敗しても意味を成すことだからそこは割り切る。
ということで、7月末〜8月頭にあれこれ試して8月中盤は帰郷、8月末から転職活動あたりか。そもそも自分の理性側は完全に「事なかれ主義者」なので、できれば帰郷前に安定(再就職の決定)してた方が落ち着くのだろうけど、今回はたぶんそんな余裕はない。理性よりも本能を優先すると決めた以上、死なない限りは本能を優先する。あるいは死んでも良いのだけれど、むしろ日本では野垂れ死ぬ方が難しい気もする。色々と諦めて色々と捨てれば生きていくこと自体は造作もない。逆に何も諦められず何も捨てられずに死ぬことも容易いといえば容易いが、今の自分は諦めることも捨てることもわりとできるようになった。弟達が生きている限り死ぬことはないだろう。それこそ今の職場で他の人達のように壊されない限りは。


・ていうか、こう書くと今の職場がだいぶ酷く思えるな。まぁ酷いんだけど、少なくとも表面上は問題ないように見える。あれは一部の問題であり、あのプロジェクトだけの問題であり、あの統括者だけの問題のようにも見える。今の仕事は別にきつくないし、趣味の活動を仕事の時間にやる余裕もあるし、自分の状態が回復しないのは会社の問題ではない。
ただ、仮にそうだとしても、あの問題は再発しうる。マネジメントの能力が向上しているとも思えないし、システムに改善が加えられたとも思えない。適性のない人間にプロジェクトが任せられるだけで再び同じ問題は起こる。
そして何にせよ、今の自分ではちゃんとは理解できない。そもそも自分にマネジメントの能力がないから、正当に評価できない。「器用貧乏」を信条とする以上、マネジメントも多少はできるようになりたいが、ここに居ては何年先になるのか分からない。情報だけで分かった気になりたくもない。それもまた外に出る理由の一つだ。自分自身をマネジメントする作業に少しだけ身を置きたい。その上で前の会社が実はちゃんと改善されていたのだと理解できたのなら戻っても良い。実際にはその知識を元に他の会社を探すことになるのだろうけど。


・誤解も何も、他人を想定していない以上、全ての理由をここに書いても問題ないか。ちょっと自戒が過ぎたかな。10以上あったとは思うけど、一応列挙しておこう

  1. 心の声:本能優先主義、後悔しない失敗
  2. 前々回のプロジェクト:マネジメント能力への懐疑
  3. 新しい能力:コンボ能力のゲーム外への適用、企画能力
  4. 休養:1年経っても回復できなかった、作業のさらなる効率化=能力をさらに有効に使える場所
  5. 自分の価値の確認:会社のラベルがない状態での自分の評価の確認
  6. 経験:企画→制作→公開→伝達の一連の作業の経験
  7. 最終目標への進行:弟達がごにょごにょ、のための一歩
  8. アンチ先鋭主義:アンチプロフェッショナル、自分はジェネラリスト(器用貧乏)
  9. 金銭的なリスクが低い:そもそも年収200万もない、いわゆるワープア、どこ行っても同じかむしろマシ
  10. 時間の損失の防止:プロジェクト終盤の2ヶ月くらいは何もできない、さらに回復にも時間を要する

ぱっと思いついたのは6個か。何か思い出したら書き足す。
器用貧乏を忘れてたな。故に現状の業界そのものに懐疑的でもある。業界というか業界の中での自分の居場所、と呼ぶべきか。次の仕事は別の業界なのかもしれない。かと言って、今のモバイルゲーム界隈にも関わりたくはないが、じゃあ今の能力をどう使うという問題がある。
「心の声が強い」というより、それ以外の要素が上のように色々とあって、それを統合した形で心の声という反応が起こったのかな、とも思える。というか、そう考えたほうが自然。
一般には転職には金銭的なリスクが伴う。以前の報酬より低くなる可能性もあるだろう。しかし今の自分より低い状況は現状においてさえレア、少なくともマイノリティだろう。


・電子回路→ハードウェア→OS→アプリケーション、というレイヤーの関係におけるアプリケーションのさらに上としての「ソーシャル」。及びさらにその「上」。
電子機器によって初めて成立しうる「人と人のつながり」と、さらにそのつながりによって初めて成立しうる「何か」。


・そういえばDSiLLの上のモニタが一部割れた?感じになってしまった。右下が指紋一つ分だけ黒のままで、微妙に内側にヒビが入っているっぽい。今回は何が原因なのかさっぱりわからん。3DSをそろそろ買う予定なので、別に修理する必要はないんだけども。


・プロジェクトのテストプレイのコメントを読んでるけど、ほんとに「予想もしないこと」とかが書かれてるな。
「かつて登場したこのキャラがまた出てくるのがイヤ」みたいな。「そもそもキャラが嫌い」とか「あの頃からこのシリーズは悪くなった」とか、そういう悪評価からゲーム自体の評価が落ちている。そりゃまぁ台所の黒い悪魔がゲーム中に仲間になってもイヤだし、それでプレイする気力が削がれるのもよくわかる話だ。しかしもはや対応のしようはない。


・自分の芸術に対する仮説である「想起される感覚の利用」としてのタンジブルUI(TUI)。
その題材を見て何を感じるか。そこにその色を使ったことに何を感じるか。そのカメラ位置を選んだことに何を感じるか。ある種の芸術はそれらの感覚を利用し誘導している、という仮説。
それをユーザーインターフェースに応用したものとしてのTUI。そこにフラスコを採用することで何を感じるか。回転量の増減に何を感じるか。その感覚を(知覚された)アフォーダンスとして利用したインターフェース。


・例えばメガホン。向けた方向に音声を伝達する、というアフォーダンス。これを携帯電話と組み合わせることで、電話番号なしに中距離の音声の伝達を可能にする。そういう(知覚された)アフォーダンスと、今だからできるモノとの組み合わせ=コンボ。


・TUIの名はGUICUIとの対比。すなわちデジタルデータのインタフェースという縛り。その縛りを解除した場合、何に適用できるか。そして縛りを解除した一種としての芸術。



・出る杭は打たれる。出過ぎた杭は打たれないが、基本的に出過ぎる前に打たれるので意味はない。打たれない環境でなら出過ぎることは可能だが、そもそも打たれない環境に居られるならやはり意味はない。
打たれたくなければ「打つ側に回る」「杭をやめる」「ハンマーを奪う」など色々と対応方法はあるし、相応の能力は必要だがさらに「打たれる以上の速度で伸びる」「打ち疲れるくらい伸び続ける」などもある。速度の方は「出過ぎた杭」になるための手段でもある。ていうか、ネットによる高速道路があれば意外と可能なのかな。