今日の雑記

・睡眠時間6時間弱くらい。22時くらいにすげー眠くなったけど食事中だったので寝れず、そこから少し片付けてから床についたんだけど、その後は2時まで眠れず。今回も脱力から上手くいかず。思考にのぼらないと実行もできない。そして暑くてカーテンなどを開けっぱなしだったため、太陽光により6時頃に起床。カーテンを閉めて寝直すも、8時頃にはすでに思考のループにはまってしまい二度寝ができない状態に。仕方なく普通に起きて普通に出社。


・しかし、最近の夢はイヤな系統の夢が多いなー。やはり退職関係のプレッシャーがかかってるんだろうか。


・「おめでとう!ネオポケ(NGP)はVista(Vita)に進化した!」と、アレなものからアレなものへの変化に見えた。


・寓話などにおいては「どうあるべきか」が問われ、「どうしたいか」は問われない。


・なんだか「正しさへの嫌悪」から「科学離れ」が進んでしまっている気がする。別にイヤなわけでもないし「自分は科学的である」などとさえ思わなければ良いとは思うけど、特定の層から明確に嫌われる対象に推移してるのは何とも言えない感覚だ。
「正しさ」とは「説明」でもある。「1+1は2である」も「林檎が落ちるのは地球と林檎が互いに引き合うからだ」も、正しさであると同時に説明である。故に「正しさへの嫌悪」は「説明への嫌悪」にもなってしまう。つまり、科学という「自然に存在するものに対する説明」も対象に含まれてしまう。正しさの議論の結果がどうであろうとそれに関わらず現象は起こるように、科学の説明がどうであろうと現象は起こる。そういう風に科学が「解釈の一つ」にまで落ちてしまった感じ。


・さらに別の側面として、「正しさへのこだわりを捨てること」は「説明へのこだわりを捨てること」というのもある。あるいは逆に「説明できなくても良い」という思想が先にあって、その結果として「正しくなくても良い」が出てきたか。なんだかどっちも違う気がするので、両方別のところから出てきた可能性もあるが、今の体調だとこれ以上は見えないな。


・こうして改めて考えると、案外「正しさ」と「説明」はワンセットになってるな。
体調が悪い時は「正しさ」をわめきたいし、自分のすでに知ってることを「説明」することで安定したい。
ここで「正しさ」をわめいていた頃に比べ、今は解説欲とも言うべきものが減衰している。


・「眠い」とは厳密には違う気がする。今の状態。思考するのがしんどかったりするが、うつらうつらするような睡魔はない。


・「視野が極端に狭い」とか「物語に閉じ込められてる」とかの類だ。
しかし、思考するのがしんどいくせに無思考になるのも難しくて上手く離脱できない。