言語の優劣のログ

たくろふのつぶやきにて言語の話が出て面白そうだったので思考のログを残しておく。


プログラミング言語との対比で思考。


「ある、なし」は事実として存在するが、「優、劣」は個人に依存した評価
→「perlはCよりも文字列処理に優れている」は割と一般的な事実(perlはろくにできないが正当な評価であると考えている)。
兄弟とbrotherの対比
→Cでも文字列は扱える。sprintf("%d + %d = %d", x, y, x+y)とすれば良いだけだ。まぁそうだし、むしろsprintfに慣れちゃってるけど。

・言語が劣っているのではなくその言語が属する文化圏においてその概念が存在しない。
→Cが劣っているのではなく〜(あるいはおざなりにされている)。Cにはクラスという概念は存在しない。しかし、プログラミング言語の世界ではプログラミング言語=その文化圏な感じなのでたくろふ氏の主張は正しいと思う。


「生み出された文化の質と、それに関わる媒体の質には、何の関係もない。」に関する考察
・ツクールXPにはRubyが組み込まれている。だからRubyは優れている(ツクールが優れているかはさておき)
→合ってる気がする
・各プログラミング言語で一番使われているのはループ処理だ(事実がどうかはさておき)
→間違ってる気がする
ある種の関連性はあるが相関関係とは限らないという感じか。「何の関係もない」は言いすぎな気もする。


失語症うんぬん」は詭弁
・今までのメソッドメソッドでいくと、「車は移動の道具だという。冗談じゃない。車が壊れたら移動できないとでも言うのか。」って感じか。それが唯一の道具であるならばその主張は正しい。


「思考に最適の言語うんぬん」は詭弁
・「プログラミングに最適のプログラミング言語があるとでも言うのだろうか」と同レベル。もちろんそんなものは存在しない。CとLuaの方向性は違う。そして状況によってどちらが優れているかは異なる。
・自分が速攻でくみ上げないといけないプログラムがあるときに、そのプログラムを組むのにどの言語が一番ふさわしいか(優れているか)を考えられないとプログラマとしてはまずい。(perlを扱えない俺の立場は?)
・後の有名人の発言も同様。レイヤーの違い(プログラミング→文字列処理etc.)を考慮に入れてない。たくろふ氏も有名人どもも。(「どもも」が「どうもどうも」の略に見えた。睡眠時間が足りてないようだ)


仮まとめ。


・「優劣」は主観的判断に基づくものであるが、その価値観がマジョリティとなればそれは「常識」として扱われる。そしてそれに付随して件の問題が発生する。戦争とかね。
・「優劣」の価値基準にはレイヤーが存在する(情報伝達→指定文字数における情報量。特定の分に対する意味の一意性の確保etc.)


あと、相変わらず俺は言語に興味がある模様。最近プログラミングばかりなのでなくしてたかと思った。



////////追記////////


詭弁うんぬん書いたけど、想定した相手にはあれで十分なのかもしれん。俺だったら「最高のプログラミング言語は存在するか?」と問いかけるだけのことっぽい(プログラマ脳)。


////////ただのメモ////////


日本語の情報伝達量について.

昔は「指定文字数による情報伝達」は日本語の方が有利であった.しかし,ウェブ上でのデータのやり取りを考えると,日本語一文字が32ビットであるのに対して英語なら8ビット,小文字と空白や句読点だけでよければ5ビットで十分となる.そのため,以前のような情報伝達量の差はなく,英語の方が有利な状況も十分に考えられる.それ故にもはや日本語の情報伝達量によって優劣を述べるのは無意味.


そもそも出発点が違う件.

向こうは「本当に言語の単純な優劣を決めたがる人間がいる」と思っていて,俺は「そんな馬鹿はおらんやろ」と思ってる.しかし,俺は「この状況で核実験する馬鹿な国なんてないだろ」と思っていたゆえ,本当に馬鹿な奴は存在しうるし,可能性があるならばそれは存在すると仮定すべきだろう.


言語を道具として見た場合の評価基準として考えられるもの
・意味の一意性(コンパイル段階ではじかれる=聞きなおされる?)
・発話・解釈の処理にかかる時間(思考時間・発話開始から終了するまでの時間・文法解析から意味解釈までの時間にあたる?)
・多言語への変換容易性(英語→仏語と英語→日本語の変換の困難性に当たるのか?)
・言語習得のコスト(日本語は文字数が多すぎるという感想をどこかで見たが、英語は26文字であるにも関わらず俺はまだ使いこなせない。とはいえ文字数が多いのはコストの増大にはなりうる)
・使用者の割合(というか言語のサポートの度合い:自然言語のサポート??)
・自分の使う環境で使えるか(自分の使う国で使えるか)
・目標達成に適しているか(論文における英語の役割あたり?)
これらの評価基準で見ると「適している」が「優れている」とは言えない例も見受けられる。特に、論文を書くときは英語で書くことが推奨されており、英語で書けばより多くの人に読んでもらえるかもしれないがそれをして優れているとは言えない。どうやら目標達成と優劣は多少の関連性はあっても別のものっぽい。
「本質的」か「付加価値」かの違い?論文が多くの人に読まれるかは中身に比べれば付加価値の方。
評価基準が明確でないことが問題?「論文を多くの人に読んでもらう言語としては英語の方が優れている」は真のような気もするがどこかずれている気もする。


そして俺は英語もろくに読めないので言語の優劣を判断できない件