自分に負けっぱなしというのも癪なので。どれぐらい冷静さを保てないかとか、どれだけ偏見に満ちているかを後で確認することも可能になるし。
何が嫌か
有害かどうかなんてどうでもいい。禁煙指定の場所かどうかも関係ない。
臭いのが嫌いだ。自分のちっぽけな満足のために他人に迷惑を撒き散らして平気な姿が嫌いだ。それを迷惑とすら自覚してない姿が嫌いだ。吸殻のみならず箱やそのフィルムまでそこらへんに捨てる美意識のなさが嫌いだ。人が食事をしてるときに吸って風味を損なわせる無神経さが嫌いだ。「タバコを吸うと落ち着く」という頭の悪さが嫌いだ。煙草をやめられない心の弱さはまぁどうでもいいや。
とりあえず問題なのは、上記の嫌悪理由を全ての喫煙者に対して抱いてる点だ。過度に一般化しすぎている。
そもそも何故嫌うか
現時点の自分の考えでは、「嫌い」とは「論理的な帰結」ではなく「学習結果」である。そのため、嫌うのにはそれに対応する学習がなされていると推測する。ということで、考えられる状況を列挙。
- 自分の「敵」は全員タバコを吸っており、自分の「味方」は吸っていなかった
- 論理的に正しくはないが、学習パターンとしては極めて普通(アブダクション)。その学習が6年続く。
- 今は「敵」「味方」で判別することはなくなったが、「敵」の情報が「嫌悪対象」の形で残っている。
- 「他人に迷惑をかけてはいけない」という価値観の埋め込み
- その価値観をさらに他人に押し付ける=「他人に迷惑をかけるな」
- 「自分が迷惑と感じる」→「自分は相手にとっては他人」→「他人(=自分)に迷惑をかけるな」という流れ
- 馬鹿(=俺の嫌いなタイプの馬鹿)が嫌い
- 中毒症状を収めることをメリットだと思っている馬鹿さ加減が嫌いだ
- だが、ちょっと待って欲しい「俺の嫌いなタイプの馬鹿が嫌い」というのはトートロジーではないだろうか
雑記
そういえば、「馬鹿」の示す範囲とか定義はかなり個人依存とかコンテキスト依存なんじゃないか
- 波平「ばっかもーん」
- 二次元女「もー、男君のバカ!」
思ってたよりは冷静に書けた、というか醒めてる。言語化することで客観的に評価可能になるからか?
ここに書いてあることはだいたい中学の段階でまとまったもの。最近はあまり考えないようにしてたせいか、あまりすんなりとは出てこなかった。戦うより関わらない方を選んだということか?というより、結論さえ覚えておけば過程は忘れても後から導出できるということか。