未分類の雑記

・またも睡眠時間は6時間+30分。そうですか、今週はそういう感じですか。「このタイミングだとわりと起きれるなぁ」と思いながら30分の二度寝。調整するなら最終的には6時間睡眠にした方が良さげ。


・今日のsaku sakuで「ピクトイメージDS」をやってた。ヒットマンの人が。で、見た感じかなり遊び方が固定されてる感じがする。「アルキメDS」の時はお題をなかなか出せない人がいたりしたから、これはこれでありなのかなぁと思いつつ、スルーの方向になりそうです。


・国のなんたるかは知らないのでまぁ適当に。
「国(会社でもいいのか)」を一つの「システム」として見た場合、それは一般的なシステムが「外部のために」存在するのと違い、「構成要素のため」に存在する。つまり、個人がばらばらでいるよりも「集合」した方が全ての個人にとって「良い」状態になるということ。ある個人にとって「良い」状態にならないのであれば、その集合から離脱すればいい(それができなくて云々、以下略)。
「システムに貢献すること」とは「全体に貢献すること」であり、それはつまり「全員に貢献すること」となる。ゆえに、「システムに貢献する」人間の方が、そうでない人間よりも優遇されるのは当然。(でもそこに利害対立・どの程度良くなったかの個人差があって云々)
国というシステムが、それに加わることを強制するならば、それは当然「孤立している場合」よりも「良い」状態にならなければならない。なので、「利益を搾り取るための存在として」ではいけないとか云々。
逆に、システムに貢献しない、システムに悪影響しか及ぼさないならば、そのシステムに居られなくてもしょうがないとか云々。
慣れない。疲れた。


・またどーでもいいネタを見かけたけども、別の言い方にするとどうなるかが気になった。
歴史:「関が原の戦いが、"どこ"で"いつ"行われたか知らないなんて、中学校で何を習ったんだ」
地理:「福島県の位置を知らないなんて(ry」
理科:「ブランコの周期が"重さで変わるか"とか"長さで変わるか"とか"振れ幅で変わるか"知らないなんて(ry」
社会:「信号機の右端が"赤"か"青"か知らないなんて(ry」
習うのは小学校か。でも歴史と地理には極端に弱い俺なのですた。そうか。俺はあっちと同レベルなのか。まぁそだね。


・「SFを語るのにこれを読んでないなんて」とか「哲学を語るのにこれを読んでないなんて」とか「プログラムを語るのにマシン語を知らないなんて」とかの延長上で自分はいつか「〜を語るのにgoogleYouTubeも使ったことないなんて」とか言うのかなぁ。そんなに長くは生きてないか。と思ったあたりで、すでに「ネット原理主義者」とかそんな感じだねと思うに至り、自分はすでにそうなっているのだと知る。


・もう金曜日?まだ金曜日?「今週は短い」と想定したがために長く感じつつ、でもやっぱり短くてまだ水曜日な気分ではある。


・「生物と無生物のあいだ」からの連想で、「Wikipedia」というのも一つの「流れ」であって、「辞書」のような「物体」ではないと考える。ならば「Wikipedia」を生物(がイヤならシステム・系)として捉えることもでき、でも、そっから先の考えが続かない。「Wiki」として考えたほうが良いのかもしれない。


・いわゆる「うんちっち機能」は、つまりはてブ上で「ツンデレ」を体現できるツール?米でツンして星でデレする。
しかし、構造上、一度は「デレ」を書かねばならない。しかし、その構造もまた「デレを言ってしまったものの、すぐにツンで否定する」という「ツンデレ構造」に寄与して、って何書いてんだ俺。


・「ブロガー代表」→「Aはブロガーではあるが、ブロガーはAではない」→「Aはブロガー代表ではない」をもとに考えると、
「Aは日本人ではあるが、日本人はAではない」→「Aは日本人代表ではない」?
この論理自体はただのベタな「極端な一般化」におけるデメリットだか欠点だか注意点だかなのだけど、そういや「代表」って何だ?
代表の決定方法:評価軸?誰による決定?
谷亮子が(柔道の)日本代表」だったら受け入れるが「亀田が(ボクシングの)日本代表」だったら受け入れないという、この感覚は何だ?


・そもそもちゃんと俺は「極端な一般化のデメリット」ってやつを理解してるんだろうか。
上記の例で言えば「日本人」にしても「ブロガー」にしても数は多い。数が少なければ「特定個人の意見」=「そのグループの意見」と言えなくもない場合もなきにしもあらずんば虎児を得ずだが、「日本人の声」と言った場合、たいていは「特定個人の意見」ではなく「日本人の意見の平均」や「日本人の多数を占める意見」や場合によっては「日本人のサイレントマジョリティの意見」を指す。てか、数の大小と「個人の意見か全体の意見か」はあんま関係ないのか。少数でも違ったりはするな。
えぇと何だっけ。いいか。思いつくまま。数が少なければその間で合意を結ぶことは比較的容易だが、上記の規模だと「みんな同じ意見」というのはない。ありえない。必然、「平均」か「多数派」を採用することになる。どちらにせよ、「意見の集計」が必要な要素ではあるか。
で、たいがいの場合「アンケートの結果」というのは胡散臭い。アンケートの設定の仕方次第で云々だ。
で、アンケートに似たものとしてのPV?多数の人間が賛同すればその人の意見は多数の人間の意見と言える?ありえるけど、いまのとこビミョーか。そこはちゃんと調べんと。
調べる→調べんと→シラベント→ファイナルベント→ファイナルべんと→ファイナルべる?
いや、どちらかというと「白井ヴィンセント」の方が近くないか?発音的に考えて。てか「ベ」じゃなくて「ヴェ」だろ。
そうか。眠いのか俺。今週は6時間ずつしか寝てないんだった。忘れてた。
で、最初の「一般化のデメリット」はどうした。


・気を取り直して。「一般化」とはつまり「共通の要素でくくること」だ。逆に言えば「共通でない部分は無視する」ということだ。で、「極端な一般化」とは「小さな共通要素のみでくくる」=「共通でない大部分は無視する」ということ。前述の「日本人」やら「ブロガー」やらには、もはや「性差」「年齢差」「趣味の差」などあらゆる要素は排除される。それらはただ「日本に住んでる」か「ブログを書いてる」という要素しか共通部分を持たない(厳密には日本国籍が云々か)。
「一般化による結論」とは「共通要素から導かれる結論」である。結論はあくまで「共通要素」から導出されねばならず、「共通でない要素」の影響は受けないものでなければならない。そうでなければ「男とは浮気する生き物」と同形の詭弁となる。そして、「極端な一般化」は前述のとおり「小さな共通要素のみでくくる」ということなので、「共通要素の少なさ」のために結論そのものの数が少なく、さらに「共通でない要素の多さ」のために影響を受けない結論はさらに小さくなる。
で、結論は「説得力増加には良いけど、たいていの場合論理的に間違い」だったようなそうでないような(集中力切れた)。
ええと、それでさっきのは「ブロガーってくくりで出た"意見"というのはたいてい論理的に間違いですよ」みたいな。代表じゃないよみたいな。じゃあつまり代表って「共通要素」?やばい。まじで頭が動かん。


・帰って寝る。12時間寝る。そしてまた振動してうんぬん。