未分類の雑記

・睡眠時間...いつ寝たっけ。少し早めに床について、少しだけ寝付けなかったのは覚えてるが。11時くらいか?じゃあ睡眠時間8時間くらいで。やはり寒さのせいか、起き上がるまでが一苦労。久々に時間ギリギリまでゴロゴロしていた。体調はフツー。頭もフツーくらい。


・何故かロジックまわりの考え事に発展してしまい、何故かそれがまとまってしまったのでメモ。「一般化」とその適用の話。
そもそも「一般化」というのは同一のレイヤーでの使用でないと妥当じゃないんじゃないか、とふと思った。
それは例えば「日本人は和食が好き」という「日本人」というレイヤでの一般化は、「だから世界の人間も和食が好き」という「世界の人間」という大きなレイヤには適用できないし、「だから佐藤さんも和食が好き」という「特定の個人」という小さなレイヤにも適用できない、という話。
で、それは「適用」の話だけど、「一般化」の時点でもこれは言えて、「佐藤さんは納豆が好き」から「日本人は納豆が好き」と一般化するのは「過度な一般化」に相当し、妥当ではない。
つまり、「観察する対象」と「一般化した論理」は同一のレイヤでなければ妥当ではない、と言えるのではないか、という話。


・あとはゴミゴミしたやつをてけとーに列挙。
「佐藤さんは納豆が好き」+「佐藤さんはオクラが好き」→「佐藤さんはネバネバしたものが好き」という感じで、「特定の個人」も一般化の対象となりうる。
はてブの観察」→「人間とは〜」「日本人とは〜」「はてな住民は〜」は間違い(後半になるほど近づいてはいる)。せいぜい「この手のエントリで、はてブで反応する人は〜」という一般化が限界。でも、それも反応の割合を計算した上での話だもんなぁ(5割はそういう反応でないと一般化とは呼べなくないか、という話)。めんどくせぇなぁ。


・書いてみると当たり前のことだなーと思いつつ、明確にそういう基準で考えてはいなかったし、わりとこのまま使えるなーと思ったので、しばらく使ってみる。原則がシンプルなのと、適用範囲が広いのが良い。ただ、この手の常として例外が発生しやすいはずなので、そこらへんを意識しつつ。


・そいや、前々回は並列化しても4時間は持たなかったっけ?体調も関係するのか?体調よりは精神的な安定か。考慮事項が増えると、その分負荷が増えるしな。
途中で休憩はさみたいんだけど、やってる最中は「このままやった方が効率が良い」と判断しちゃうんだよなぁ。短期的にはそうなんだけどさ。


・そういえば、書評だと比較的新しい本にしか出会えんな。たまに古めのも出てくるけど。


・「マイナスがない」のと「プラスがある」の違い。
ちょっと例の「コスト削減」をまた考えていて、「ライトのスイッチの対応表がある」っていうのは「どれを押せばどこがつくのかわからない」というマイナスをなくす方向であって、これ自体は動機付けにはならんよなぁ、と考えていた。
で、この「マイナスをなくす方向」と「プラスを加える方向」って、「面白い」と「面白そう」の違いにも似てるなぁって思った、というメモ。


・なんで今さら一般化のことを考えてんだろうなーとか思ってたけど、はてブの流れを見て少し納得した。スルーしてたつもりだったが、どっかで考えてたらしい。


・やたら「たらこ」の記事がプッシュされてたので、しょうがないから読んでみるかと思ったら消えてる?はてブとかの反応を見る限り「み、見ないで!恥ずかしい!」となった可能性もあるか。
で、まぁそれはそれでいいやという気分なのだけど、ちょっと別のことを思い出して、ログ取ってなかった気がするのでメモ。
たらこさんにしても、弁当さんにしても、サスペンダーさんにしても、池なんとかさんにしても、どこがすごいのかがわからない。「結果」だけ見ればわりと「これはすごい」と呼ばれる所以はわかるのだけど、「発言パターン」を見る限り(フツーとは言わないし、「これはひどい」とも言わんけど)「これはすごい」とはかけ離れている。やっぱり「結果」で評価を受けていると推定し、「発言パターン」を理解できないのは「知識」なり「文脈」なりを共有できないと考えた方が良いのかなぁというのが、ここ数ヶ月変わらない思考パターン。他に「仕事以外までそんなすげーことしねーよ」とかの解釈とかもあるが、あんま真面目に考えることでもねえなーということで停止中。


・ちょっとそれ関連で多少。自分の情報処理能力は「中の上」程度だと認識して、それをもとに行動パターンを決定するようにしていたのだけど、「下の中」と仮定してもかなり今の状況に対して整合性が取れているので、「あれ?もしかして俺って相当頭悪い?」と考えるようになり、「俺の頭がとても残念であることは否定できないが、よもやそれほどとは」とか考える。


・海辺で「バカヤロー」と叫ぶのに、想定読者は要らない。
この場合「読者」とは呼ばないな。「聴き手」?「想定聴き手」。語呂わりぃ。
結論から書いてしまった。経過としては、「読者云々の話を読んだけど、ここって読者想定してないよなぁ?」あたりから始まり、「いまから読者を想定した書き方すると、相当気持ち悪いよな」とか「本当に将来の自分を想定してるか?」とか「将来の自分がいちいち目を通すとは考えられないから、想定するなら文章を処理するプログラムだよなぁ」とか考えつつ、あらためて「ここは"海でバカヤロー"のネット版だ」という考えはかなり近いなぁと思った次第。
「海でバカヤロー」は「発話行為が必ずしも意図の伝達を目的としない」というを示すことはできるが、「共感を求めていない」ということを示す例としてはいまいちかなぁ。「愚痴」に比べるとだいぶマシな例えだけど。


・「閾値が低い」だけで「好き嫌い」はむしろ激しいなら、「何でも楽しめるはずだ」という俺の思い込みは間違ってるんじゃないか。
っていうのはメモっといたっけ。