自分の嗜好の考察

あと、「少年ヤンガスとホゲホゲ(色々忘れた)」をやっててわかったのが、どうやら自分は「合成(繋ぎ合わせ)」が楽しいらしい、ということ。
アイテムの合成もモンスターの合成も好きだ。格ゲーのコンボも技の繋ぎ合わせだし、TCGのコンボも効果の合成だ。
器用貧乏を目指しているのも、おそらくその広さによって合成パターンを増大させて楽しむことが目的。「一つの道を突き進む」というのは確かに向いてなかった気がする。
これで説明できないのは「育てること」と「駆け引き」あたり。「駆け引き」は具体的にどんなジレンマが好きなのかがまだ確定してない。
あと「回転」もあった。こっちはどちらかというとリアルの方での楽しさか。Wii Sportsでの回転もわりと楽しめたけども。


追記。「装備の合成」と「モンスターの合成」をやっていて思ったのは、「次に何が起こるか分からない楽しみ」よりも「次に何が起こるかが分かる楽しみ」の方が自分の場合は大きいらしい。別の言い方をすれば「自分でゴールを発見して、そこを目指す楽しみ」。モンスターの合成ならば、合成結果をwikiなどで確認して、目的のモンスターを目指すタイプ。ここらへんは各種コンボなどにも通じる。一応、「発見」までの過程で「未知」を楽しんではいるものの、「ゴールを目指す」という「既知」を楽しむ方向の方が強いっぽい。そう考えると「育成」も「ゴールを目指す」ものだし、「駆け引き」も「既知」の条件から「勝利」という「ゴールを目指すもの」と言える。そしてやっぱり「回転」の説明だけができない。
これと逆方向で思いつくのは遊戯王とかか。ちゃんと見てないけど、マンガやアニメでは、基本的にあれは読者に対して「未知」を突きつけていく方向のはずだ。それがTCGという「既知」ベースのものになるとマンガ固有の楽しみは失われて別のものになるんじゃないかと思うのだけど、どっちも詳しくないのでさっぱりだ。もしこの考えが正しければ、「既知」ベースのTCGからマンガにしたものは「未知」を生成できない分、不利な気もする。
さらに脱線して、「既知」ベースのマンガを考えるとカイジとかアカギになるんだろうか。提示されている条件・環境などは「既知」のはずだし。相手の持っているものを具体的には特定できないまでも、全体の種類・枚数などは既知。
さらに手札などすら公開する完全な「既知」ベースだと将棋とかになるのか。ヒカルの碁などが該当?あれは「実力」を「未知」として設定している気もするし、そもそも一般人でルールを知っている人間が少ないので、ルールそのものが「未知」な気もしないではない。


方向を戻して「未知の楽しみ」と「既知の楽しみ」について考える。どちらかというと、将棋や囲碁などの「完全公開情報ベースのゲーム」というのは苦手だ。好きで得意なのは「格ゲー」や「TCG」。「格ゲー」に関しては「全てのキャラの全ての技を知っている」という「既知」の状態を好むが、「有限時間で判断を行う」という制約がないと困る。「TCG」に関しては「全てのカードの情報を知っている」という既知の状態を好むが、「手札や山札は基本的に公開しない」という制約がないと困る。
しかし、「格ゲー」にしても「TCG」にしても、「全て知っていないと楽しめない」となると不便だな。「格ゲーのバージョンアップ」は「新キャラ」「新技」「新システム」という形で「覚えること」が増えて、「TCG」だと「新カード」「新システム」という形で「覚えること」が増える。そりゃ、新参が寄り付かなくなるよ。そうなると、「覚えること」を増やすのではなく「情報量はそのままで考えることは増やす」のか?それって最近のいわゆる「調整」なのか?あれはあれで、なんというかう〜ん。